小公園に残る旧町名を探して (No.6)

By , 2018年1月19日 8:32 PM

城番(じょうばん)公園 筒井3丁目
手代往還公園からさらに東、そして北に歩いてみます。ここに「城番公園」を見つけましたが、何とも古めかしい名を留めています。すぐ北にある情妙寺(日蓮宗)の南門前町となっていた一帯で江戸時代城代組同心、御深井丸(おふけまる)番頭などの屋敷地で城番町と呼ばれていました。城番とは戦国時代から江戸時代にかけて城代(注)のもとにあって城の門櫓を警備、城の守衛にあたった下級武士の役職です。簡単に言えば城の番ですね。明治11年(1878)北城番小路、南城番小路、養老小路を合わせて城番町と定められましたが、昭和50年頃からの区画整理で現在は筒井3丁目となり、この公園にのみ名が残されました。
(注)城代とは大名が参勤交代などで不在の折、国元の居城で留守番を務める家臣のうち、家老職の者を城代家老と呼んだ。

城番公園

IMG_1120城番公園 IMG_1116城番町自治会
  公園の北、筒井通から南を見た城番公園  公園の南から北を見ると「城番町自治会」の名が

★参考資料 ひがし見聞録、東区の歴史、ウィキペディア

小公園に残る旧町名を探して (No.5)

By , 2018年1月8日 8:35 PM

手代往還(てだいおうかん)公園 筒井二丁目
★今年初めての投稿となり、昨年に続きこのシリーズとなります。引き続きご覧ください。
この公園は北に旧手代町(てだいまち)、南に旧往還町(おうかんちょう)として平行する東西を走る二つの町名から名が付けられた公園です。西は水筒先町、東は車道に接する町でした。二つの町は江戸期以来のもので手代町は作業型、水道方などの手代衆屋敷の屋敷があったことに由来、往還町は往還手代衆の屋敷があったことに由来しています。往還手代衆とは大道奉行に属するもので広い道の管理などを担当した役人ということです。名古屋城下において双方とも水道工事とか下仕事的な任務を担った下級武士の居住地であったと思われます。
戦後しばらくして国の事業計画「町を造りなおす計画」として新しい道が造成され昭和56年、この一帯は筒井2丁目となり手代町、往還町は消滅しました。北を走る旧手代町は広い道路となり、住宅もすっかり建て替えられ新しい道と町が誕生しました。そこに余った土地?に「手代往還公園」が造成され子供たちの遊び場が出来ました。この公園は北の手代町と南の往還町に面する南北に長い公園で旧町名が残されたわけです。しかしながら道行く住民らしき何人かに問いかけても公園の場所すら知らないとか、ここがかつて旧手代町、旧往還町であったことも知らないようでいかに時代が経ったのかを痛感します。

手代往還公園

グーグルマップには緑で表示された公園が記されていません。万福寺の斜め向えにあります。

image1手代往還公園1 image1手代往還公園2縮小
  手代町に沿ってある北の入口   往還町に沿ってある南の入口

★参考資料  ひがし見聞録、東ネット、インターネット、町の識者の話

小公園に残る旧町名を探して (No.4)

By , 2017年12月26日 9:12 PM

竪代官公園 代官町
さらに東へ歩いてみましょう。200mぐらい南東に「竪代官公園」があります。舎人公園とかこの公園は四角形ではなくひし形とか三角形の敷地となっています。おそらく戦後の区画整理により道路の造成が優先して残った敷地が公園となったのでしょう。代官町という名は江戸期にこの地方が開発された頃、ほとんどが武家屋敷で大代官「太田久左衛門」という人が初めて家を建てたことから名が付きました。代官という職は幕府、諸藩の直轄地の行政や治安をつかさどる役人の称で「お代官様」と言えば馴染みのある言葉です。
代官町の竪、横の区別は昔からあり竪代官町は御下屋敷(おしたやしき)とか御人参畑とも言われていたそうです。その一帯がかつて尾張二代藩主徳川光友の下屋敷があり、薬用人参を育てていたことに由来しています。竪、横の称は明治9年東西の町を竪代官町、南北の町を横町(よこちょう)といったことから萱屋町(かやまち)の東の竪の道を横代官町と呼びました。ややこしいですね。この一帯は昭和55、56年の住居表示変更により竪代官町、横代官町の名はなくなり萱屋町、水筒先(すいとうさき)町、平田町、布池(ぬのいけ)町など七つの町名がすべて代官町となりました。
今年1年間このブログとお付き合い頂き有難うございました。来年もこのシリーズは続きます。
引き続きご覧ください。

竪代官公園

DSC03361竪代官町公園 DSC03362竪代官町公園全景
 竪代町公園 竪代官町は国道19号線をはさんで東西の長い町名であった

★参考資料 HP東ネット・東区の歴史・ひがし見聞録

小公園に残る旧町名を探して(No.3)

By , 2017年12月16日 9:20 AM

平田公園(へいでんこうえん)代官町2
No,2で紹介した舎人公園をさらに東へ国道19号線を渡り少し北へ行くとマックスバリューがあり、その北東辺りに「平田公園(へいでんこうえん)」があります。人通りもあまりなく近所の方しか目にしないような小さな公園です。初めての方はおそらく「ひらたこうえん」などと読まれるのではないでしょうか。名前の由来は徳川家康の家臣で、最も近くに仕えた「平岩親吉(ちかよし)」の法名「平田院(へいでんいん)殿越翁休岳大居士」によるものです。親吉の菩提寺は江戸期以前は三河にありましたが、親吉の国替えと共にその所領に移転、その後名古屋城築城にともない現在地に移り親吉没後は浄土宗「平田院」と名を変えました。
平田町という町名は明治4年町名施行により「平田院町」と呼ばれ、この一帯に「平田院」と称する寺があったことに由来しています。この町名も昭和56年には消滅し、代官町と名を変え今では「平田公園」と国道19号線と外堀通り線の交差点に名を残すのみとなりました。又「平田院」は平成2年天白区へ移転、現在は寺もありません。それでも平田町交差点東に「名古屋銀行平田町支店」と西には銭湯「平田温泉」とあるのはかつての名残のようです。

平田公園[/googlemap

DSC03364平田公園 DSC03359平田公園
  くまちゃんがプレートを持ち上げています   昔の町名が残された「平田公園」

★参考資料 ひがし見聞録・平田院沿革

小公園に残る旧町名を探して(No.2)

By , 2017年12月2日 3:33 PM

舎人公園 泉三丁目
No.1で紹介した七小公園から東へ行き南北に走る国道19号線の手前にひし形をした公園があります。今は消滅した町名である「舎人町」から「舎人公園」と名が付けられました。この公園から南西一帯は舎人町と呼ばれた町名でしたが今は公園にのみその名を残しています。この辺りは戦災で焼け、その後の区画整理により道が広げられこのようなひし形の公園となったようです。中区の「名妓連」、東区の「中京連」として芸者置屋もあり、又芸者さん達も数多く住まれた町でした。「中京祇園街」として昭和40年代までは芸者さん達も行きかい華やかな町でした。舎人町という名は江戸期からあり、名古屋城下の武家町の一つですが町名の由来は「舎人八左衛門」という武士の先祖が住んでいた説(尾張志)と、慶長年間藩祖義直公が鷹狩に出かけた時、側近の舎人某が遅刻してこの地にはせ参じ、地名を聞かれた時、答えられなかった。その時義直に「遅れた記念に舎人町とせよ」と言われてついた町名と諸説あるようです。

舎人公園[/google

DSC03348舎人公園 石 DSC03353明るさ 舎人公園
        舎人公園    今年はイチョウの黄葉がきれいです

★参考資料 東区の歴史、HP東ネット「東区あらかると」

小公園に残る旧町名を探して (No.1)

By , 2017年11月24日 12:55 PM

七小公園 泉二丁目
今回からのシリーズとして町名変更による失われた町名がわずかに小公園として残っている公園を探して歩きます。
昭和37年「住居表示に関する法律」が制定され、名古屋都心部の旧町名が一挙に消滅しました。東区の旧町名は藩政時代、明治時代に名付けられたものも多く、それぞれに由来があり町名変更により歴史的遺産が消えていくようです。昭和51年の区画整理以前には現在泉二丁目と称されている一部分には七小町(ななこまち)という町名がありました。明治の初めこの辺りに7個寺「(高岳院(こうがくいん)、善光寺、養蓮院、遍照院(へんじょういん)、普蔵寺、正覚寺、東漸寺(とうぜんじ)」があったことから七小町と名付けられました。正確には七個寺の門前町であったのですが、いつの間にか「七小」になったということです。現在はその跡地を含めて「七小公園」と称してその名を留めています。なお、7か寺のうち現在残るのは高岳院、遍照院のみとなって他は移転したということです。

七小公園
image1七小公園縮小
 イチョウの木が黄葉して見頃です

昔を語る銘板 (続2)

By , 2017年11月13日 7:51 PM

御畳奉行 朝日文左衛門重章(しげあき)屋敷跡 主税町四丁目
東区を1か月程歩かず、しばらく発信をお休みしてしまいました。今回も銘板を探して東区を歩きました。
朝日文左衛門を多くの方はあまりご存知ないかもしれません。主税町四丁目78「しゃぶしゃぶ太閤」と現在はオオカンサクラの並木道となっている道路上に御畳奉行であった朝日文左衛門の屋敷跡がありました。文左衛門の役職はお城の畳の傷み具合を調べるだけの閑職で元禄4年(1691)から没する享保2年(1717)までの26年間にわたり書き綴った日記「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)」全37巻を著わしたことで知られています。武士の生活や、町人の日常やうわさ話、又日本各地の情報、事件など元禄の人々の生活ぶりを丹念に記し、元禄の世相史としては貴重な資料となっています。この表札は平成25年「東区まちそだての会」「太閤本店」により設置されたと記されています。

今は道路
DSC03341朝日文左衛門、太閤
  文左衛門の屋敷は現在の道路上  「太閤」の敷地に銘板が設置。右の道路は主税町
DSC03342朝日文左衛門マップ  DSC03343朝日文左衛門説明文
 クリックすると地図が大きくなります  銘板の左に書かれている説明文、クリックして下さい

★参考資料 元禄御畳奉行の日記、ウキペディア

 

 

昔を語る銘板 (続1)

By , 2017年10月15日 2:17 PM

主税町(ちからまち)公園一帯
銘板シリーズは5回で終りとなりましたが、他の団体によっても同じような銘板が建てられています。名古屋市市政資料館から東へ、国道41号線(高架は都市高速)へ出る手前に主税町公園があります。銘板シリーズ「続」として去る10月4日にこの主税町公園に披露された「名古屋市輸出陶磁器ゆかりの地 主税町公園一帯」と題した銘板を紹介します。明治から昭和にかけ、東区付近は多くの陶磁器絵付け工場や貿易業者が軒を連ねていました。明治29年(1896)この主税町公園一帯(当時は橦木町、現主税町)は森村市左衛門が東京や京都の絵付け職人を集め陶磁器絵付け工場を集約した場所でした。江戸時代には武家屋敷があった広い土地と堀川を使った運送などの立地条件の良さから関連事業者650軒、約1万4千人の従事者がいました。その後美濃街道や瀬戸街道が交差する赤塚付近にも絵付け工場が多く出来、名古屋の輸出陶磁器産業の繁栄のきっかけとなりました。この銘板には名古屋都市センター「まちづくり活動助成」を受けていますと記されていました。

主税町公園
IMG_0931主税町銘板
 主税町公園南の敷地も「森村組絵付け工場」があった    主税町公園 北西に銘板はあります
IMG_0932銘板全体 IMG_0932切り抜き2
名古屋市輸出陶磁器ゆかりの地 主税町公園一帯  左部分を切り取り。クリックすると大きくなります。

★参考 銘板  森村市左衛門の生涯 ウキペディア

昔を語る銘板 (No.5)

By , 2017年10月4日 10:59 PM

矢田第二公園 矢田南四丁目
最後の銘板は平成29年1月に矢田南三菱電機名古屋製作所の東側、名城大学キャンパス近くに設置されました。銘板の左には昭和40年代の市電が走っていた頃の矢田南の風景を写した写真、右は大正12年三菱電機名古屋製作所の工場が出来る前、土地埋め立て工事に着手した頃の様子です。この辺りは水はけが悪く沼のようになっていたようです。大正末期以降から田園、工場地帯、戦後は小中学校が集まる文教地区、又団地と変貌を遂げた一帯となりました。平成28年4月には名城大学ナゴヤドーム前キャンバスに外国学部が開設され、イオンショッピングセンター、その東にはナゴヤドームなどが立ち並び、現在では発展の一途を遂げています。

矢田第二公園
DSC02805名城大学
   後ろの建物は名城大学
DSC02804矢田南銘板全体 DSC02806市電切り取り
 左は市電の走る様子、右は大正12年の沼地の様子
写真の上でクリックすると画像が大きくなります
 左の写真の切り取り、昭和47年に撮影
写真の上でクリックすると画像が大きくなります

★参考資料 中日新聞(平成29年2月3日掲載)

昔を語る銘板 (No.4)

By , 2017年9月18日 9:45 PM

徳川園 徳川町
徳川園黒門を入ったすぐ右手に銘板があり、「尾張徳川家大曾根邸/明治末期の風景」と題して明治末期の様子が伺える貴重な写真が掲載されています。徳川園は尾張二代藩主徳川光友が元禄8年(1695)に自らの隠居所大曾根屋敷を造営したことを起源としています。当時の敷地は13万坪、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたといわれています。明治23年(1890)尾張十八代当主義礼(よしあきら)が大曾根邸を新築し、明治33年(1900)には侯爵邸に相応しい規模に改築、尾張徳川家の本邸としました。昭和6年(1931)尾張十九代義親(よしちか)は大曾根邸の当時の敷地約9千坪と建物を名古屋市に寄贈、市は翌年「徳川園」として公開しましたが第二次世界大戦によりほとんどの建物や樹林を焼失しました。現在の黒門と脇長屋一帯は焼失を免れた貴重な建物です。
この銘板は東区役所と同時に平成27年3月に設置されました。

IMG_0809銘板全景 IMG_0812地図
 左通路を左に入ると徳川園の庭園   明治期と現在の徳川園の敷地の違いがわかる
この上でクリックすると拡大されます
IMG_0803銘板縮小 IMG_0807つるべ
  銘板右上の写真につるべ井戸が写っています
この上でクリックすると拡大されます
  焼失を免れ 現在も同じ位置にあるつるべ井戸

★参考資料 ひがし見聞録・徳川園パンフレット・銘板案内

 

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