東区寺巡り(No.11)

By , 2019年2月17日 8:43 PM

蓬莱山徳源寺 新出来一丁目
「東区寺巡り」を再開してさらに北へ歩いてみます。基幹バスが走る山口町と徳川園新出来バス停の中央辺りです。沿革は文禄2年(1593)織田信長の次男信雄(のぶかつ)が熱田に「清涼山宝仙寺」を建立したのが起源です。その後幾多の変遷を経て延亭元年(1744)現在地に移転しました。臨済宗妙心寺派の寺となっています。境内は戦後の都市計画で狭くなりましたが、およそ5200坪の境内に、山門、勅使門、本堂、仏殿、開山堂、禅堂、鐘楼などが建ち並んでいます。
1.禅堂(左下の写真)は非公開ですが文久2年(1862)に建立、徳源寺では最も古い建物で現在でも雲水(修行僧)修行の場となっています。平成10年に解体修理されました。
2.山門(右下の写真)は明治45年建立の高麗門(城郭門)で本柱の上に切妻屋根がのり、本柱には控え柱を備え本柱と控え柱の間に切妻屋根が掛けられています。

IMG_3425禅堂 IMG_3413山門縮小

3.  仏殿(釈迦堂)は大正年間に建造の銅製の釈迦涅槃像が北を枕に西を向いて安置され後部には五百羅漢を祀っています。日本では珍しい仏殿で涅槃像は5mを超える大きさです。
4.本堂は昭和28年竣工、鉄筋コンクリート造り約二百畳の広さがあります。庫裏との間には「瑞心の庭」と称し、石庭が造られています。

IMG_3417涅槃像切り抜き縮小 IMG_3420本堂と庭
仏殿の涅槃像の後ろには五百羅漢が祀られています  本堂と石庭

5.開山堂はこのブログの 写真にはありませんが禅堂の北にあり残念ながら非公開です。 岐阜県の豪農の寄進によるもので昭和10年に完成、左に寄進者の位牌、天井には河合玉堂作「雲竜図」が描かれ見事です。。但しこれはレブリカで本物は県美術館に保管されています。
境内には桐の大木があり、4月初めには見事に咲き東区民に親しまれています。蛇足ですが、この徳源寺の北向かえにはわらび餅で有名な和菓子司「芳光」があり和菓子党の良く知る所です。
★参考資料 ひがし見聞録、 徳源寺由緒書

町の情報

By , 2019年2月4日 4:27 PM

神明社の節分 徳川2丁目1
2月は3日は節分、ブリタニカ国際大百科事典によると「元来季節の移り変わる時をさし立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれ前日」をいうので年に4回もあるそうです。まあ、季節を分けることを意味しているそうです。というわけで今日は立春、確かに4日は昨日の寒さに代わり気温が随分上がっているが夜には寒さが戻るそうです。三寒四温の訪れですね。神明社では福豆をまいて鬼の目に投げつけて邪気を払い1年の無病息災を願い歳の数だけ豆を食べる「豆まき行事」が行わました。まあ、高齢者が歳の数だけ食べるのはちょっと難しいですね。お持ち帰りでした。その他邪気除けのヒイラギとイワシの頭を玄関にかざす風習もありましたが、現在では見なくなりました。又その年の「恵方(今年は龍泉寺)」を向いて太巻きを丸かぶりする「恵方巻」という文化はもともと関西のもので東京の海苔問屋組合が海苔の消費宣伝活動の一環として30年くらい前から宣伝に着手、やっと20年程前にイベントなどによる宣伝で全国的になったといいます。

image1 (1)神明社節分 image1 (1)神明社鬼
30人程が組になり、順番に本殿の前に建てられた鬼
の目に豆を投げつける。
    鬼の目に豆が当たると良いようです。

ゆかりの地を訪ねて

By , 2019年1月28日 3:57 PM

井持浦教会「ルルドの洞窟」 長崎県五島列島 五島市玉野浦
カトリック主税町記念聖堂

今回も足をのばしてゆかりの地を訪ねます。東区主税町3丁目には「カトリック主税町記念聖堂」があります。この教会は明治20年(1887)フランス人宣教師によって名古屋で初めて造られたカトリック教会で東海三県下では最も古い教会です。しかしながら平成26年(2014)120年以上続いた教会の機能が移管され現在では記念聖堂となっています。この教会の敷地内に「ルルドの洞窟」があり明治42(1909)年に造られた日本で2番目に古いものです。そこで一番古い「ルルドの洞窟」が長崎県五島列島にあるということではるか遠方まで出かけてみました。

DSC01858旧全景 DSC02959切り抜き2
 名古屋市東区 「カトリック主税町記念聖堂」   カトリック主税町記念聖堂 「ルルドの洞窟」

★井持浦教会
五島列島の南の島、福江島までは福岡空港又は長崎空港から飛行機又はフェリーでしか行けず非常に不便な島です。今回ある旅行社のチャーター便で小牧空港から福江空港FDA(フジドリームエアライン)で1時間半、何とも短時間で行くことが出来ました。福江島は幕府による禁教令により長崎外海(そとめ)からキリシタンの五島への移住が始まり、潜伏キリシタンとしてこの地に残り明治になって復活期を迎えました。玉野浦には明治30年(1897)フランス人宣教師により煉瓦造の教会「井持浦教会」が建設され、2年後の明治32年には「ルルドの洞窟」が建造されました。五島のあちこちから集められた奇岩、奇石が信徒達の奉仕により日本最大の洞窟が建造され、ルルドの聖母像はフランスから取り寄せて洞窟内に収められたといいます。こうして日本最初のルルドが造られ、参詣者が後を絶たずルルドの霊水を求めて訪れているそうです。昨年はこの五島列島にある二つの島が五島市の二つの構成資産を含む「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産の登録が決定しました。

IMG_3230井持浦教会縮小 IMG_3244ルルド縮小
 長崎五島列島 「井持浦教会」  井持浦教会 「ルルドの洞窟」

★フランスのルルドの由来
ルルドの洞窟はフランスとスペインの国境にあるフランス側ピレネー山脈の麓にあるルルドという洞窟でベルナベッタという14歳の少女のもとに聖母マリア様が出現、実に18回の出現が彼女にもたらされました。聖母マリア様は洞窟の水を掘るように命じ、湧きだした霊泉の水により難病がいやされ不幸、災難から救われるなど多くの奇跡が起こりたちまちカトリック最大の巡礼地になりました。現在もルルドの洞窟には年間5~600万人の人々が巡礼に訪れているそうです。

ゆかりの地を訪ねて

By , 2019年1月12日 4:55 PM

堀江山長谷院(ちょうこくいん) 愛知県清須市桃栄3-80
東区寺社巡りから足を延ばして「ゆかりの地を訪ねて」として清須にある「長谷院」に出かけました。
この寺には江戸時代東区にあった「お下屋敷(おしたやしき)」の中に建立されていた「多宝塔」が移転されているという報が昨年(2018)9月名古屋市逢左文庫で開催された「尾張藩邸物語」で公開され、徳川美術館館長にお聞きしても最近判ったということです。早速訪ねてみようと名鉄電車「須ヶ口」駅で降り、徒歩7分くらいのところにありました。「堀江観音」の名で親しまれる尾張33カ所2番札所てなっており、永享年間(1429~1440)頃の創建、浄土宗の寺ですが、今は無人となっています。
東区にある「お下屋敷」は尾張二代藩主光友により尾張藩の別邸として延宝7年(1679)に造営されました。後に質素倹約を旨とする八代将軍吉宗と規制緩和政策をとった尾張七代藩主宗春と対立し、この屋敷に蟄居謹慎になったことはよく知られています。天明2年(1782)の大火で屋敷や庭園のほとんどを焼失、その後には多宝塔が尾張十代藩主徳川斉昭(なりとも1793~1850)によりお下屋敷に寄進されました。天保5年(1834)にはお下屋敷にあった仁王門、多宝塔、明王堂などが清須の「長谷院」に移築され名古屋の商人、杉屋佐助(米穀商)の努力で寺観が整えられていきました。しかしながら江戸期の建物は現在では多宝塔」のみとなりその他は戦後建て替えられています。東区のお下屋敷一帯は明治になって壊され広大な土地が大正期まで残されました。この中にあった多宝塔も長谷院へ移転したから残った貴重な遺産です。

IMG_3031多宝塔 IMG_3024仁王門
 塔は石組の基壇に建っています  戦後建て替えられた仁王門

★多宝塔とは平面が方形の初層の上に平面が円形の上層を重ね四角錐形の屋根を有する二重塔の形を言います。
★注) 多宝塔はお下屋敷から「長谷院」へ移転したことは「尾張藩邸物語」で確かです。又境内の標識にもお下屋敷から寄付されたと書かれています。しかしながらどのブログ、書き込みを見てもそのことは記載されず斉昭寄進とのみ書かれています。寄付された年代が分かればよいのですが、もう少し調べてみます.

 

IMG_3019瓦 IMG_3020 (1)名所図会
  軒瓦には葵の紋がありますが、下層部の瓦は紋がない
おそらく修理後にこのようになったのでは。
        本堂左にあった標識、これからは年代は
読み取れません。

★右の標識には美濃路から分かれた津島街道が境内を通り、名古屋からの観音参り、甚目寺、津島への参詣者を迎え「尾張名所図会」にはその賑わいが描かれています。写真の上でクリックすると大きくなります。
★参考資料 ひがし見聞録、長谷院境内標識、近所の方の聞き取り、ウキペディア

新年の風景

By , 2019年1月2日 5:02 PM

松山神社の初詣
明けましておめでとうございます。
今年の元旦は快晴に恵まれて各神社の初詣の人出も多かったのではないでしょうか。飯田町の松山神社では大晦日の「紅白歌合戦」が終わった頃から初詣に訪れる参拝客が列をなし、道の角まで並んだそうです。残念ながら筆者は今年はテレビの前で過ごしてしまいました。今年は元日の午前に参拝に出かけ破魔矢を買い求める参拝客、本殿の参拝の順序を待つ様子をお届けします。
次回は寺巡りの続きとなりますので又お寄りくださいね。

IMG_3079参拝 IMG_3081破魔矢

東区寺巡り(No.10)

By , 2018年12月25日 8:44 PM

徳興山建中寺 筒井一丁目
今年最後の「東区を歩こう!」は少し足を延ばして東へ国道19号線を渡り建中寺の紹介です。この寺は慶安4年(1651)尾張二代藩主徳川光友が父である藩祖義直の菩提を弔うため創建したもので尾張藩の菩提寺、浄土宗の寺です。今から実に367年前に創建されました。江戸時代には4万8千坪、周囲に石垣と溝を巡らした厳重な構えで総門、三門、本堂、経蔵、歴代藩主の御霊屋が建立されました。しかし、天明5年の大火(1785)で総門、三門その他一部を残して焼失しましたがその2年後の天明7年には本堂、経蔵などが再建され、現在に至っています。現在の敷地は約千坪、建中寺の三門南側の道路から総門までは戦後の復興で名古屋市に買収され、建中寺公園として市民に親しまれています。名古屋市立あずま中学、東海学園中高等学校も江戸時代は建中寺の敷地でした。
本堂は間口27m、奥行25m、建坪210坪に及び、木造の本堂としては名古屋市最大級で「名古屋市指定文化財」に指定されています。

今年も後わずか、建中寺では大晦日に除夜の鐘がつかれ、一般参拝者が鐘をつくことが事が出来ます。今年も12月1日から100円で配布される参加券はすでに完売となったようです。大晦日23時30分から始まり観覧することが出来ます。今年は是非建中寺の除夜の鐘を聞きながら新年を迎えてはいかがでしょう。この一年ブログを愛読いただき有難うございました。来年も「東区寺めぐり」は続きます。又ご一緒に歩きましょう。

IMG_3067総門 IMG_3070三門
IMG_3075本堂 IMG_3076山門葵
上段は建中寺公園南の総門・ 下段は本堂 上段は本堂前の三門・ 下段は葵の家紋のある山門扉

★参考資料 名古屋市史寺社編 ひがし見聞録

東区寺巡り(No.9)

By , 2018年12月13日 6:36 PM

東岳山長久寺 白壁3丁目
東区の紅葉もそろそろ見納めとなります。本題の東区寺巡りに戻り、今回は禅隆寺を北へ(早咲き桜みち)基幹バス通り(左に金城学院高校)を渡り200m程の「長久寺」の紹介です。昭和50年代の町名変更により、長久寺町から白壁町になりました。この寺は慶長15年(1610)の清須越により現在地に移され、名古屋城の鬼門鎮護の寺とされました。真言宗智山派、本尊は不動明王です。表門は豪華な一間薬医門で清須から移したものです。名古屋城の東にあるこの地は北と東に坂や崖があり、特に北を見ると今でもその名残はありますが当時は見晴らしの良い高台となっていました。そのため尾張名所図会(おわりめいしょずえ)には「長久寺八景」と称した景勝の地として描かれています。
境内には将棋駒形の供養塔「庚申塔(こうしんとう)」が祀られ、江戸時代盛んになった庚申信仰による三匹猿「見ざる」「言わざる」「聞かざる」が石碑に浮彫されています。江戸初期の寛文8年(1688)の刻印があり、昭和53年には「市指定文化財」となりました。毎年8月の夜には庚申まつりが行われています。

IMG_3047長久寺正門 DSC01123庚申塔縮小
 清須から移された薬医門       うずくまった鬼の上に本尊の青面金剛の像が
三匹の猿を従えている。

★参考資料 ひがし見聞録 長久寺縁起

禅隆寺紅葉

By , 2018年12月2日 5:29 PM

禅隆寺枯山水庭園縮小禅隆寺紅葉便り
禅隆寺は名古屋市内で見られる紅葉の名所です。手入れも大変行き届きいつでも自由に山門をくぐり紅葉見物ができます。例年11月末から12月初めには綺麗に色づき山門右手の紅葉は見事です。今年は色づきが遅くまだ1週間ほどは見頃です。庭には「山水菩薩庭園」と名付けられた枯山水の庭園があります。これは仏教の心構えを庭に写し、本堂側から見ますと川の中央の石橋を渡ると、下を流れる川により二つの世界に分けられています。向って左側が現生で右側が極楽浄土となっているそうです。右の極楽浄土には三尊席(さんぞんせき)という三つの石が拝され、中央の高い石が観音菩薩像を表しているそうです。様々な苔も素晴らしく紅葉を愛でながら足元の枯山水庭園にも是非目を向けて下さい。この上の写真が「山水菩薩庭園」です。

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東区寺巡り (No.8)、

By , 2018年11月25日 8:39 PM

宗興山禅隆寺 飯田町36
前回の圓勝寺を50m程西へ行くと禅隆寺があります。市バス「飯田町」のバス停前です。この寺は元和9年(1623)尾張初代藩主義直より寺地を拝領して創建された臨済宗妙心寺派、京都妙心寺の末寺となっています。本尊の釈迦如来は義直寄進のものです。八代藩主宗勝、九代藩主宗睦(むねちか)の生母の菩提所であり、この寺も尾張徳川家とはゆかりのある寺となっています。戦災で本堂は焼失しましたが、清須から移築した山門と山門を入り左手にある観音堂は創建当時のものです。現在の本堂は昭和44年に再建されました。
山門を入るとモミジが沢山植えられ名古屋市内にあって紅葉の名所と言われる程見事に色づきます。今年は夏の暑さと急な冷え込みが少なく今日25日現在、日の当たる上部は色づいていますが、日陰とか地面に近い所はまだ緑がみられます。見頃は来週あたりかと思いますが、そんな頃是非お出かけください。

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 創建当時の山門 山門右手に色づいた紅葉  門を入り左手観音堂、紅葉が見られる

★参考資料 東区の歴史 ひがし見聞録

東区寺巡り(No.7)

By , 2018年11月15日 4:19 PM

寶林山 圓勝寺 飯田町49
しばらく秋のイベントを追って歩きましたが、本題の「東区寺巡り」に戻って歩きます。
今回は養念寺を北へ外堀通り線を渡り突き当たった位置にある「圓勝寺」です。もとは甲斐府中にあり、天台宗でした。武田氏滅亡後7人の武士が清須に移りそのうちの一人が仏門に入り「善了坊」と名のり清須に寺を建立、「寶林山圓勝寺」と号しました。名古屋開府後尾張藩主の命により慶長16年(1611)現在の飯田町に移り、慶長19年には浄土真宗本願寺派となりました。明治24年(1891)の濃尾地震で本堂、庫裏他が倒壊し明治39年鐘楼、山門、玄関が再建されましたが、再び昭和20年3月の空襲で山門を残して焼失しました。現在の本堂は昭和42年の再建です。

DSC05490円勝寺縮小 IMG_2992山門鬼瓦
  空襲で焼け残った明治39年建立の山門   鬼瓦には細かな細工の獅子が乗せられています

★参考資料 圓勝寺住職様聞き取り 名古屋市史

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