東寺町を歩こう! 7法華寺(ほっけじ)、8真柳寺(しんりゅうじ)

By , 2010年12月28日 8:39 PM

啓蓮山 法華寺(日蓮宗) 東桜二丁目、旧小川町
 延徳2年(1490)織田常勝が織田一門の祈願所として清須に建立。慶長14年の清須越で現在地に移ってからは尾張藩の庇護を受け、日蓮宗の名古屋筆頭として寺格は高く、檀家も上級武士に限られていたという。

  修理中の山門を通りぬけると本堂があります。  
  小川町を桜通り辺りから南へ歩きましたがこの法華寺は
  錦通りと小川町の交わる角にあります。
  
   左写真の本堂の左手には水屋があります。本堂は嘉永
   6年火災で焼失しましたが、この水屋は18世紀前半の
   建立といわれています。
   
   

恵眼山 真柳寺(日蓮宗)東桜二丁目、旧小川町

7で案内した法華寺の末寺で慶長年中(1596~1615)の建立。本堂は嘉永6年の火災で類焼し、その後再建された。
法華寺の東向かいにあって法華寺と同時に火災にあったようです。

★小川町を桜通り辺りから錦通りへと南に歩きましたが、この小川町には全ての日蓮宗が集められ法華寺町とも呼ばれていました。現在では所々にこれらの寺を見るのみですが清須越の折、又江戸時代後期の古地図からも解るようにこれらの寺は隣接していました。いかに広大な寺域であったかと当時を想像するのも 面白いものです。
 いよいよ年末となりました。「東区を歩こう!」では来年も引き続きこのようなシリーズでご案内したいと思います。来年は東寺町の続きとして「松山町」を歩きたいと思います。このブログを読んで下さった方にお礼を申し上げますと共に来年もつたない案内ですが引き続きよろしくお願いします。
良いお年をお迎え下さい。

    

東寺町を歩こう! 6浄蓮寺(じょうれんじ)

By , 2010年12月25日 3:02 PM

超立山 浄蓮寺(日蓮宗) 東桜二丁目、旧小川町
 この寺も清須にあり、天正18年(1590)元は妙源寺として建立された。その後清須越にて現在地に移った。当時の敷地は1650余坪もあり、江戸末期「名古屋城下図」を見ると道をはさみその東にある東生涯学習センターとは地続きとなっています。当時の寺域の広大さに驚くばかりです。

     山門は旧小川町ではなく桜通り小川町交差点から南を
  走る、広い道路に面している。
    旧小川町にある裏門です。いつもはこの門は閉まって
    いますが、めずらしく中を見ることが出来ました。
    右に見える大きなビルも寺の敷地であったのでしょう。
  東側山門の北にはレストランが建ち並んでいます。
  とんかつ、フランス料理、寿司屋など。
  どの店も個性があって美味しいですよ。
   東側山門で見つけました。屋根をつるがはっています。
   からすうりでしょうか?間違っていたら教えて下さいね。
   草木にからみついて成長するそうで、確かに大木にから
   んでいます。都会で見るのは珍しいです。

東寺町を歩こう! 5本要寺(ほんようじ)

By , 2010年12月23日 8:13 PM

常英山 本要寺(日蓮宗) 東桜二丁目、旧小川町
 開祖は室町時代、明応4年(1495)で清須にあった。後の清須越で現在地に移った。「名古屋市史」によると当時は1,746坪あったということで、なるほど古地図を見ると寺と寺が隣接していたことがうなづける。

  どこの寺でも見られるように、広い敷地は貸駐車場
  となっている。この寺の迎えには和食処があり、お客様用
  に貸されている。       
   この本要寺の北隣は石屋さんです。昭和初めの開業
   だそうで、寺の門前にはこうした石屋さんが多く見られた
   のでしょう。写真右は本要寺山門。

東寺町を歩こう! 4照遠寺(しょうおんじ)

By , 2010年12月10日 7:34 PM

妙長山 照遠寺(日蓮宗)東桜二丁目、旧小川町
 もと中島郡大津村にあり、その後須に移り、その後清須越によって現在地に移った。嘉永6年(1853)の火災で本堂、堂宇を焼失したがその後再建された。楼門は棟札により享保15年(1730)の建立であることが知られる。この寺も江戸末期の「名古屋城下図」によると3で紹介した「法輪寺」と寺域は隣接しています。当時の敷地の広さが想像されます。

   御堂の左右に四天王が収められている。    明治以降寺院門前に建てられた町屋の一部が空襲を
   まぬがれ、古いたたずまいをわずかに残している。
   今は和食、フランス料理のレストランに利用されています。

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