道標を見つけよう!(3) 道標地蔵(長久寺)

By , 2011年2月25日 9:18 PM

 

東区白壁3-24-47

長久寺(白壁三丁目)

この道標はお地蔵様の後背の部分に彫られたもので、長久寺にある六地蔵の一番右にあります。かつて東海道にあったものがいつの間にか信心深い人が寄進し、ここに納まったといわれています。

可愛いよどかけを着けたお地蔵様で道標とは解りません この赤いよどかけを上げると後背の右に「右 なるみ道」
左に「左    坂道」
とありますがはっきり読めないようです。

道標を見つけよう!(2)大曽根道標(善光寺街道)

By , 2011年2月20日 4:43 PM

先回 1,で見つけた佐野屋の辻の道標から北進、赤塚神明社の裏をさらに北進すると大曽根の六叉路辺りに出ます。ここは下街道と瀬戸街道の分岐点でもあり、この六叉路の北東、瀬戸線ガード付近にかつての道標がありました。
その後移転を重ね平成20年大曽根本通商店街振興組合により、地下鉄E6出入り口前に再移設されました。

地下鉄大曽根出入り口  E6 大曽根本通商店街振興組合によって設置されたプレート
写真の上でクリックして下さい。下街道の説明を読むこと
が出来ます。
西側 右 いゐたみち(飯田道)
北側 左 江戸みち  ぜんく己うじみち (善光寺道)東側 延享元甲子年二月(江戸中期1744年)
南側 念佛講中これにより江戸時代中期、1744年に建てられたかなり
古いものと解ります。

道標を見つけよう!(1)佐野屋の辻(善光寺街道)

By , 2011年2月16日 9:03 PM

道標は道路の辻,街道の分岐点に立てられた交通標識です。東区内にある旧街道に立てられた道標を探して今回は「道標を見つけよう!」シリーズとしました。道の片隅に置かれた道標を是非見つけてくださいね。

 善光寺街道は現在の中区伝馬町「札の辻」を起点として旧石町、鍋屋町、佐野屋の辻を北進して赤塚、大曽根、勝川、多治見を通り大井宿で中山道と合流する街道です。大井宿から分かれて中山道に行く上街道(うわかいどう)に対して善光寺街道は庶民の通る道として下街道とも呼ばれ、木曽御嶽山や善光寺への参詣人が多く往来したようです。
(参考資料 東区の歴史 愛知県郷土資料刊行会)

佐野屋の辻(泉3丁目、旧鍋屋町)
 国道19号線と旧鍋屋町との交差点辺りにあり、名古屋城築城の頃移り住んだ2軒の佐野屋という酒屋、味噌屋があったことから人々に「佐野屋の辻」と呼ばれていた。
道標の文字
 西面 善光寺街道(上に北を指さしている手首がある)
 北面 京大坂道 (上に西を指さしている手首がある)
 東面 いれは業  鍋屋町加藤新兵衛
 南面 明治十年
これらから鍋屋町に住んだ入れ歯業加藤新兵衛が明治十年に立てたことが解る。
一般に明治、大正の頃の道標は個人で立てたものが多いようです。

東寺町を歩こう! 5西蓮寺(さいれんじ)

By , 2011年2月4日 10:14 PM

逞龍山 西蓮寺(浄土宗)東桜二丁目、旧松山町
 永禄年間(1558~1569)武田信玄の族縁といわれる甲斐の逞誉祖的(ていよそてき)によって開祖。慶長の初め「西蓮院」(信長の娘というが諸説あり)供養のため清須に創建、清須越によって現在地に移りました。信玄ゆかりの寺で武田菱を持つ寺です。
明治21年(1888)浄土宗愛知校(東海中学の前進)が本堂に開設され、又明治41年(1908)には東区役所設置にあたり、庁舎が設けられ翌年布池町に引っ越しました。
この寺は旧松山町の西側にあり東充寺の南(離れています)駿河道(飯田街道)に面して門があります。
 庭園は1300年前の中国の高祖「善導大師」の教えを説く「二河白道庭園」で有名ですが書院の奥にあり、公開されていません。

  今年1月2日の写真です。門松も見られます。        二河白道庭園(にがびゃくどうていえん)
   

★昨年11月14日から歩き始めた「東寺町を歩こう!」は約2ヵ月半に渡ってゆっくり歩きましたが今日で終りとなりました。
 東寺町には信長ゆかりの寺が何と多いことでしょう。それもそのはず信長が居城としていた清須から慶長遷府によりこの東寺町が出来たということに他なりません。法華寺、安斎院、梅屋寺、含笑寺などがゆかりの寺でしたね。

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