伊藤萬蔵について(その2)

By , 2012年3月15日 7:59 PM

 萬蔵の住宅があった塩町(しおちょう)は堀川にかかる景雲橋西側の南部分です。塩町は開府当初、清須越による塩商人が多く住んだことから寛文7年(1667)にはこの町名となりましたが後に米の先物取引をする「延米(えんまい・のべこめ)商売」をする業者の居住する町へと変わっていきました。萬蔵はこの業界に丁稚として住み込み商人としての第一歩を踏み出し、米の投機を覚え塩町四丁目に屋号「平野屋万蔵」を立ち上げ相場師として活躍することになるのです。
 明治10年には景雲橋上流、塩町三丁目6番地に取引所「名古屋米商会所」が開業、その発起人の一人として「伊藤萬蔵」の名があります。しかしこの業界から以外に早く身を引き金融業、貸家業へと移り、そこから上がる莫大な利益を得たのでした。萬蔵はこうして一代で財を築き石造物の寄進につぎ込みました。
 「なぜ寄進されたのは石製品ばかり?」というのは建造物などではいつかは痛み修復が要る。子孫に迷惑がかからないようにとの配慮もあったのではないかという説もあります。
★写真は「石造物寄進の生涯・伊藤萬蔵」から頂きました

    浅間神社(西区那古野一丁目)昨年5月撮影    伊藤萬蔵寄進の狛犬 (赤いよだれかけは通常、稲荷
   神社でキツネにかけられているようですが)
 左の狛犬       納                            右の狛犬     奉
           蔵萬籐伊                                   塩  當
                                                    町  市
 

★塩町西の四間町(しけみち)の又西にある浅間(せんげん)神社で萬蔵寄進の石造物を見つけました。
 筆太の行書体で彫りの深さは人差し指の第一関節が入るくらいあります。
 次回伊藤萬蔵について(その3)をアップした後いよいよ「東区の伊藤萬蔵寄進の石造物を見つけよう!」とします。

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