昔を語る銘板 (No.3)

By , 2017年9月4日 3:16 PM

東区役所前 筒井一丁目
東区役所前の銘板は「明倫中学校と東区役所」と題して大正、昭和の風景を取り上げています。この一帯は慶安4年(1651)尾張二代藩主徳川光友が父義直公の菩提を弔うため建立した建中寺の境内で創建当時は約5万坪、周囲に石垣と溝(小さな堀)をめぐらす厳重な構えで壮大な三門、本堂を有するものでした。銘板の左手(西側)は区役所前を山口町へ南北に通じる道路で江戸期からある道路です。明治になってこの道路の西側に明倫中学校が新設されました。現在は愛知県立愛知商業高校となり、左上の写真の道路左側に見ることが出来ます。大正年間には建中寺の西側と南側には学校、警察署、消防署が出来、昭和に入ってもその様子を留めていました。

IMG_0533銘板全体 IMG_0534銘板アップ
銘板の左(西側)の道路は江戸期からある道路。
その左は県立愛知商業高校
 この銘板は東区役所駐輪場辺りにあります。
IMG_0556切り抜き明倫中学校 明倫中学校(昭和4年に新設された校舎の写真)
明倫中学校は尾張徳川家18代徳川義礼(よしあきら)により藩校明倫堂を継承し、明治33年(1900)私立明中学校が開設されました。昭和23年(1948)学校統合により、愛知県立高等女学校と合併して明和高校となり現在の東区白壁二丁目に移転しました。
昭和27年には愛知県立愛知商業高校が現在地に移転しました。
★写真の上でクリックすると説明文が読めます。
IMG_0536切り抜き 東区役所  

布池町にあった前東区役所
(大正15年~昭和45年)
東区役所は明治41年(1908)東区施行の折には西蓮寺(現東桜二丁目)に開設されました。
翌年布池町に庁舎を移転、大正15年には写真で見るようなモダンな庁舎が完成。昭和45年には現在地に新築移転しました。
★銘板の写真を切り取ったものです。クリックすると説明文が読めます。

2 Responses to “昔を語る銘板 (No.3)”

  1. smash より:

    walkerさま

    旧東区役所って、布池の東南角、今は看護専門学校のある、に当たりますか。
    この建物、上飯田行きの電車から見たような。
    遠い過去の思い出なので位置が不確かです。
    小川に、大きな道が通ったので、旧電車道は目立たなくなってしまいましたね。
    平田町では道路のアクセス角度も違ったように思えましたし。
    愛商の南というと、引戸のレストラン、ザンビが思い出されます。

  2. walker より:

    smash様は東区のことを良くご存知ですね。
    確かに市電が走っていましたね。今ではあの広い19号線が目に入り、その東の道路にに市電が通っていたなんて信じられないくらい道幅は狭いですね。

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