昔を語る銘板 (続1)

By , 2017年10月15日 2:17 PM

主税町(ちからまち)公園一帯
銘板シリーズは5回で終りとなりましたが、他の団体によっても同じような銘板が建てられています。名古屋市市政資料館から東へ、国道41号線(高架は都市高速)へ出る手前に主税町公園があります。銘板シリーズ「続」として去る10月4日にこの主税町公園に披露された「名古屋市輸出陶磁器ゆかりの地 主税町公園一帯」と題した銘板を紹介します。明治から昭和にかけ、東区付近は多くの陶磁器絵付け工場や貿易業者が軒を連ねていました。明治29年(1896)この主税町公園一帯(当時は橦木町、現主税町)は森村市左衛門が東京や京都の絵付け職人を集め陶磁器絵付け工場を集約した場所でした。江戸時代には武家屋敷があった広い土地と堀川を使った運送などの立地条件の良さから関連事業者650軒、約1万4千人の従事者がいました。その後美濃街道や瀬戸街道が交差する赤塚付近にも絵付け工場が多く出来、名古屋の輸出陶磁器産業の繁栄のきっかけとなりました。この銘板には名古屋都市センター「まちづくり活動助成」を受けていますと記されていました。

主税町公園
IMG_0931主税町銘板
 主税町公園南の敷地も「森村組絵付け工場」があった    主税町公園 北西に銘板はあります
IMG_0932銘板全体 IMG_0932切り抜き2
名古屋市輸出陶磁器ゆかりの地 主税町公園一帯  左部分を切り取り。クリックすると大きくなります。

★参考 銘板  森村市左衛門の生涯 ウキペディア

昔を語る銘板 (No.5)

By , 2017年10月4日 10:59 PM

矢田第二公園 矢田南四丁目
最後の銘板は平成29年1月に矢田南三菱電機名古屋製作所の東側、名城大学キャンパス近くに設置されました。銘板の左には昭和40年代の市電が走っていた頃の矢田南の風景を写した写真、右は大正12年三菱電機名古屋製作所の工場が出来る前、土地埋め立て工事に着手した頃の様子です。この辺りは水はけが悪く沼のようになっていたようです。大正末期以降から田園、工場地帯、戦後は小中学校が集まる文教地区、又団地と変貌を遂げた一帯となりました。平成28年4月には名城大学ナゴヤドーム前キャンバスに外国学部が開設され、イオンショッピングセンター、その東にはナゴヤドームなどが立ち並び、現在では発展の一途を遂げています。

矢田第二公園
DSC02805名城大学
   後ろの建物は名城大学
DSC02804矢田南銘板全体 DSC02806市電切り取り
 左は市電の走る様子、右は大正12年の沼地の様子
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 左の写真の切り取り、昭和47年に撮影
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★参考資料 中日新聞(平成29年2月3日掲載)

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