小公園に残る旧町名を探して (No.1)

By , 2017年11月24日 12:55 PM

七小公園 泉二丁目
今回からのシリーズとして町名変更による失われた町名がわずかに小公園として残っている公園を探して歩きます。
昭和37年「住居表示に関する法律」が制定され、名古屋都心部の旧町名が一挙に消滅しました。東区の旧町名は藩政時代、明治時代に名付けられたものも多く、それぞれに由来があり町名変更により歴史的遺産が消えていくようです。昭和51年の区画整理以前には現在泉二丁目と称されている一部分には七小町(ななこまち)という町名がありました。明治の初めこの辺りに7個寺「(高岳院(こうがくいん)、善光寺、養蓮院、遍照院(へんじょういん)、普蔵寺、正覚寺、東漸寺(とうぜんじ)」があったことから七小町と名付けられました。正確には七個寺の門前町であったのですが、いつの間にか「七小」になったということです。現在はその跡地を含めて「七小公園」と称してその名を留めています。なお、7か寺のうち現在残るのは高岳院、遍照院のみとなって他は移転したということです。

七小公園
image1七小公園縮小
 イチョウの木が黄葉して見頃です

昔を語る銘板 (続2)

By , 2017年11月13日 7:51 PM

御畳奉行 朝日文左衛門重章(しげあき)屋敷跡 主税町四丁目
東区を1か月程歩かず、しばらく発信をお休みしてしまいました。今回も銘板を探して東区を歩きました。
朝日文左衛門を多くの方はあまりご存知ないかもしれません。主税町四丁目78「しゃぶしゃぶ太閤」と現在はオオカンサクラの並木道となっている道路上に御畳奉行であった朝日文左衛門の屋敷跡がありました。文左衛門の役職はお城の畳の傷み具合を調べるだけの閑職で元禄4年(1691)から没する享保2年(1717)までの26年間にわたり書き綴った日記「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)」全37巻を著わしたことで知られています。武士の生活や、町人の日常やうわさ話、又日本各地の情報、事件など元禄の人々の生活ぶりを丹念に記し、元禄の世相史としては貴重な資料となっています。この表札は平成25年「東区まちそだての会」「太閤本店」により設置されたと記されています。

今は道路
DSC03341朝日文左衛門、太閤
  文左衛門の屋敷は現在の道路上  「太閤」の敷地に銘板が設置。右の道路は主税町
DSC03342朝日文左衛門マップ  DSC03343朝日文左衛門説明文
 クリックすると地図が大きくなります  銘板の左に書かれている説明文、クリックして下さい

★参考資料 元禄御畳奉行の日記、ウキペディア

 

 

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