小公園に残る旧町名を探して (No.9)

By , 2018年2月25日 1:45 PM

西二葉公園  白壁2丁目
今回は松山公園から随分離れて国道41号線(空港線)と桜通りの交差点高岳を北へ東片端交差点、清水口交差点まで約1kmと随分歩き、県立明和高校の近くかつての西二葉町まできました。西二葉町は明治期の成立で江戸期には尾張藩御付家老成瀬隼人の中屋敷があったところで屋敷跡の庭に古い老松があったことから明治の初めに「西二葉町」と名がつけられました。現在の国道41号線のすぐ西の南北の道は、かつての木曽街道で小牧に通じる重要な道で、成瀬隼人の居城犬山にも通じる重要な道でした。この街道をはさんで西二葉町、その東を東二葉町、清水町が入り組んで分けられていました。昭和39年から始まった住居表示に関する法律により西二葉町、東二葉町はなくなり白壁2丁目となりました。この公園に「西二葉公園」としてのみ名が残りました。
★参考資料 ひがし見聞録、東区の歴史

西二葉公園
IMG_1251地図
  西二葉公園  案内地図、写真の上でクリックして下さい
IMG_1165補正 IMG_1168西二葉公園
 西二葉公園  日当たりのよい場所にある

4 Responses to “小公園に残る旧町名を探して (No.9)”

  1. smash より:

    walkerさま

    今回は大きく北へ展開ですね。
    坂を巡られたとき、明和高校西側の坂が紹介され、何度も通ったのに知らずにいたことを思い出しました。
    明和高校の東の公園ですね。
    成瀬家のお屋敷跡でしたか。
    ついこの間まで、犬山城を所有しておられたお宅ですよね。

  2. yamabuki より:

    西二葉町の地名、とても懐かしいですね。子どもの頃にはこの辺りまで出かけて遊んだ記憶があります。西二葉公園はあまり記憶がないですが、たぶんそこでも幼友達たちと遊んだのでしょうね。明和高校は賢いお兄さんたちがいっぱいいると親から教わっていました。校庭や当時の名鉄瀬戸線側の草むらで野球部のボールを探したりもしていました。法律とはいえ、新住居表示は歴史が消えていくようでとても寂しいですね。
    明和高校の南側の細長い土地は当時は鯱バスの駐車場でした。鯱バスがたくさん並んでいて、バスには愛称がつけられていて、ねねとか秀吉とか色々な武将の名前が沢山ついていた記憶があります。
    西二葉町は歴史のある懐かしい地名ですね。

  3. walker より:

    smash様
    そうですね、明和高校の西が枳殻坂でその辺りは北と東に下っています。
    西二葉公園は明和高校の東ですが良く観察すると坂の多い一帯です。
    江戸時代後期の地形が何となく想像できますよね。

  4. walker より:

    yamabuki様
    コメントを有難うございます。
    子供の頃にこの一帯で遊んでいたのですね。
    懐かしい思い出があるようで、嬉しいコメントでした。
    鯱バスの駐車場は知りませんでしたが、バスの愛称は今でも変わりません。信長、吉宗、利家、等々です。何十年も前からでしたか。

Leave a Reply

Panorama Theme by Themocracy