7月の茅輪(ちのわ)神事

By , 2018年7月25日 9:05 PM

松山神社の茅輪神事  泉三丁目
連日の猛暑で熱中症を心配して東区を歩くことを休止しています。しかしながら夜の行事である「茅輪神事」は夕刻から行われ、出かけてみました。この神事は夏越のお祓い(おはらい)で「茅の輪(ちのわ)くぐり」ともいわれ、茅(かや)を太くよって結んだ大きな輪を社殿前に設け、これを八の字を書くようにくぐれば、災厄や疫病を免れると伝えられています。おおむね、7月から8月の初めまでに行われ半年間の無事とこれから半年間の息災を願うものです。実際に回ってみましたが、四手(しで)のついた笹の小枝を持って輪の前で一例して左回りして、輪の前で再び一例して今度は右回り、輪の前に戻ったら真っすぐ本殿に向かい参拝する。という順序です。松山神社は毎年7月25日、その他の神社では30日に神明社、8月1日には八幡社、7日には物部神社で行われます。一度お出かけ下さい。
松山神社の由緒についてはこちらをご覧ください。

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  日没後すぐの明るいい境内    松山神社の鳥居
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   宮司さんから笹の小枝を受け取る    茅の輪をくぐる人達

戦争の痕跡を見る (No.6)

By , 2018年7月1日 11:47 AM

旧市立第三高等女学校の石碑 橦木町二丁目
第二次世界大戦の痕跡を目に出来るものは東区ではすでに発信した5カ所(まだ他にあったら教えて下さい)となりましたが、今回からはこの戦争で犠牲となられた方々を偲ぶ慰霊碑を探して歩きます。戦後73年も過ぎようとしている現在、当時のことを知る人もほとんどなくなってしまいました。橦木町二丁目にある山吹小学校の東には大正12年(1923)旧市立第三女学校が創設されました。ここでは三菱航空機に勤労動員されていた生徒が軍需品を作っていたため昭和20年1月23日の米軍の空襲に遭い防空壕に爆弾が直撃、避難していた生徒42名が爆死しました。焼野原となったこの敷地には仮設簡易住宅、木造平屋建てのバラック住宅85戸が建設されたましたが、その後昭和44年には高層の市営山吹荘が建設され、東には46年山吹小学校の生徒、住民らが憩う「山吹谷公園」も造成されました。昭和56年には爆死した生徒を悼む慰霊碑が「山吹谷公園」の西に卒業生「山稜会」により建立されました。毎年山稜会の有志により1月23日には近くの徳川家菩提寺である建中寺で慰霊祭が行われています。この石碑を見て往時を偲び、語り部となってくれる人もなく、山吹小学校の生徒又、就学前の子供を連れた家族が遊ぶ山吹谷公園の片隅にひっそりとその石碑はあります。

ここに石碑
IMG_1878市立第三高女石碑
 山吹谷公園の西端に二つの石碑がある
IMG_1874校碑 IMG_1877石碑背面
  左が校碑、右が校訓碑  校碑の背面には「昭和20年1月23日」と刻まれている

★参考資料 ひがし見聞録     山吹ものがたり

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