ゆかりの地を訪ねて

By , 2019年1月12日 4:55 PM

堀江山長谷院(ちょうこくいん) 愛知県清須市桃栄3-80
東区寺社巡りから足を延ばして「ゆかりの地を訪ねて」として清須にある「長谷院」に出かけました。
この寺には江戸時代東区にあった「お下屋敷(おしたやしき)」の中に建立されていた「多宝塔」が移転されているという報が昨年(2018)9月名古屋市逢左文庫で開催された「尾張藩邸物語」で公開され、徳川美術館館長にお聞きしても最近判ったということです。早速訪ねてみようと名鉄電車「須ヶ口」駅で降り、徒歩7分くらいのところにありました。「堀江観音」の名で親しまれる尾張33カ所2番札所てなっており、永享年間(1429~1440)頃の創建、浄土宗の寺ですが、今は無人となっています。
東区にある「お下屋敷」は尾張二代藩主光友により尾張藩の別邸として延宝7年(1679)に造営されました。後に質素倹約を旨とする八代将軍吉宗と規制緩和政策をとった尾張七代藩主宗春と対立し、この屋敷に蟄居謹慎になったことはよく知られています。天明2年(1782)の大火で屋敷や庭園のほとんどを焼失、その後には多宝塔が尾張十代藩主徳川斉昭(なりとも1793~1850)によりお下屋敷に寄進されました。天保5年(1834)にはお下屋敷にあった仁王門、多宝塔、明王堂などが清須の「長谷院」に移築され名古屋の商人、杉屋佐助(米穀商)の努力で寺観が整えられていきました。しかしながら江戸期の建物は現在では多宝塔」のみとなりその他は戦後建て替えられています。東区のお下屋敷一帯は明治になって壊され広大な土地が大正期まで残されました。この中にあった多宝塔も長谷院へ移転したから残った貴重な遺産です。

IMG_3031多宝塔 IMG_3024仁王門
 塔は石組の基壇に建っています  戦後建て替えられた仁王門

★多宝塔とは平面が方形の初層の上に平面が円形の上層を重ね四角錐形の屋根を有する二重塔の形を言います。
★注) 多宝塔はお下屋敷から「長谷院」へ移転したことは「尾張藩邸物語」で確かです。又境内の標識にもお下屋敷から寄付されたと書かれています。しかしながらどのブログ、書き込みを見てもそのことは記載されず斉昭寄進とのみ書かれています。寄付された年代が分かればよいのですが、もう少し調べてみます.

 

IMG_3019瓦 IMG_3020 (1)名所図会
  軒瓦には葵の紋がありますが、下層部の瓦は紋がない
おそらく修理後にこのようになったのでは。
        本堂左にあった標識、これからは年代は
読み取れません。

★右の標識には美濃路から分かれた津島街道が境内を通り、名古屋からの観音参り、甚目寺、津島への参詣者を迎え「尾張名所図会」にはその賑わいが描かれています。写真の上でクリックすると大きくなります。
★参考資料 ひがし見聞録、長谷院境内標識、近所の方の聞き取り、ウキペディア

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