東区寺巡り(No.16)

By , 2019年5月20日 2:17 PM

永平寺名古屋別院 代官町41
桜通り小川町交差点を東へ200m程行くと北側に永平寺名古屋別院があります。正式な名称は大本山永平寺別院法安殿護国院ですが簡略に永平寺名古屋別院と呼ばれているようです。この永平寺別院の開創は文政3年(1820)頃に尾張10代藩主の徳川斉朝(なりとも)が名古屋城西方の景雲橋辺りにあった慶雲軒450坪の屋敷を尾張藩主の隠居後の別邸、お下屋敷(おしたやしき)に移転したことに始まります。このお下屋敷は7代藩主徳川宗春が最晩年に蟄居した所で7万坪にも及ぶ広大な敷地でした。長期の謹慎処分をうらんで霊が出るとのうわさにより、お下屋敷の北東に宗春の霊の祈念所、徳川家の祈願所を創建、護国院清久寺と号しました。明治維新後は徳川家による保護も失われ頽廃(たいはい)を極めました。明治43年本堂再建に着手、大本山永平寺出張所としての性格を明示しました。本山はおよそ750年前に道元禅師により開祖された現在の福井県永平寺、曹洞宗です。昭和20年3月19日の空襲で全てを焼失、昭和33年に「永平寺別院」に昇格、昭和35年本堂が再建、昭和60年までには主要な建物が順次完成しました。平成21年11月には開創200年大祭、永平寺別院昇格50周年を祝う大祭が行われました。境内西側には前田利常(金沢藩三代当主、利家の四男)の刻印石が置かれていますが、同様の刻紋が名古屋城二の丸にあります。

IMG_4067.jpg山門縮小 IMG_4061.jpg縮小
 平成17年に完成した山門  前田利常の刻印石、何故ここに?お下屋敷にあったもの?

★参考資料 名古屋市史 永平寺名古屋別院開創200年大祭(由緒書)

 

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