大光寺豆知識

By , 2020年6月27日 3:14 PM

前回で紹介した大光寺についての豆知識です。
元禄年間(1688~1704)の城下を描いた絵図を見ると大光寺の南には細い川のようなものが描かれています。西は長者町筋から一直線に東へ、大津橋南、東片端南から大光寺南を通り飯田町養念寺あたりでその川は消えています。これは名古屋城の外堀からさらに南に防衛のため造られた溝(みぞ)のようなものです。大光寺住職様にお聞きすると幅2m、深さ2mぐらいのもので下には水がちょろちょろ流れ、戦いのときの兵士の通り道であったといいます。丁度人が通っても隠れる深さであったわけです。
その溝がいつまであったかは定かではなく、昭和20年の戦災後の都市復興計画により、大光寺敷地内の南には道路が出来、溝は埋められたのではないかとお聞きしました。今は東にある大光寺の山門は旧鍋屋町通側にあり、奥に山門、参道を通りこの溝を渡って本堂へと続いていました。この溝に架けられた橋が大光寺西の庭に移設され、この貴重な橋をあまり人々は目にすることもないかと思われます。

IMG_5550.jpg大光寺石橋 IMG_5572.jpg大光寺山門縮小
  大光寺南の溝に架けられていた石橋   今は駐車場になった参道、奥の道から本堂へと続く


★参考資料 元禄年間名古屋城下絵図   大光寺住職様聞き取り

町並みの移り変わり(続5)

By , 2020年6月16日 11:37 AM

泉二丁目5にある大光寺の山門が建て替え工事中です。大光寺は日蓮宗の寺で元は群馬県伊勢崎にあり、慶長の初め群馬県現前橋市へ移転しました。この寺は平岩親吉(ちかよし)と共にあり、親吉の国替えで清須へ移築、慶長15年の清須越で現在地へ移りました。山門は清須城の裏門を移築したものでした。戦災で本堂、山門、庫裏を焼失。その後本堂が昭和40年、山門が昭和57年に落成されました。山門は日蓮聖人入滅700年記念で再建されたのですが、老朽化により再度の建て替えとなりました、6月初めから7月末の予定で新しい山門が蘇ります。

image1 IMG_5500.jpg縮小
   旧山門    建て替え中の山門

★参考資料 ひがし見聞録、住職様の聞き取り
★参考 平岩親吉
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。元は群馬県前橋藩。家康側近の一人で尾張藩主義直の付け家老として尾張に移り藩政を執行した。犬山城主でもあった。

葵1丁目の 立ち葵

By , 2020年6月7日 9:22 PM

生涯学習センターがある葵1丁目の街路樹は初春にはハクモクレンが見事に咲きますが、6月になるとその根元近くからタチアオイがどんどん成長し咲き競います。タチアオイはほとんどが宿根草、丈夫で忘れていてもその時期になると花を咲かせてくれるようです。葵町に「立ち葵」最初はどなたがこの花を植えたのか分かりませんがこの町にピッタリの花ではないでしょうか。徳川家の家紋「双葉葵」とは異なり背丈は人の身長以上にもなり、花はハイビスカスのようで一日花です。葉がどんどん太陽の方に向かうところから「仰日(あおぐひ)」から葵となったというそうです。中央の写真はカトリック布池教会前に咲く立ち葵です。

IMG_5483.jpg生涯学習センター IMG_5478.jpg立ち葵 IMG_5486.jpgタチアオイ

新栄町付近の夜の風景

By , 2020年6月4日 9:48 PM

コロナ感染での自粛は緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだ感染リスクは消えず夜の新栄町はマスクをした勤め帰りの人がまばらに歩いているのみです。夜の散歩でライトアップされた建物が目に入り昼間の様子とは違った趣を見ることが出来ます。新栄町交差点北東にエレベーターが設置された地上がヤマザキマザック美術館です。工作機械メーカーのマザック創業者が収集した美術コレクションを公開しています。コロナ感染防止でしばらく休館していましたが、6月2日から開館となったようです。

IMG_5469.jpgマザック美術館前 IMG_5470.jpgマザックショールーム
ロダンの作品と交差点角にある大楠、静かです。 マザックのショールームが綺麗にライトアップ
 IMG_5457.jpg横山美術館  IMG_5474.jpgカトリック布池教会
  横山美術館のライトアップ  カトリック布池教会のライトアップ

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