町並みの移り変わり (続12)

By , 2021年1月28日 8:16 PM

薬石碑 平田町(へいでんちょう)交差点西

国道19号線、平田町(へいでんちょう)西の南北の道は現在相生町ですが、江戸時代は善光寺街道と呼ばれ、大曾根口を通り中山道大井宿に通ずる道でした。この相生町33には「薬石碑」が建てられていました。
以下は、右の記事の分類から「町並みの移り変わり」No.7/2017.7.4に投稿した内容の一部ですが、2017年にはマンション建設のため取り払われ、西の駐車場に寝かされている記事です。ところが2019年マンション完成後あの石碑が以前あった西の道路から迎えの民家の駐車場の一角に再建されて驚きました。南に「あかなべはらぐすり」と良く読めるものです。「あかなべ」というのは三重県の薬業者の屋号といいます。

外堀通り線を北の相生町すぐの敷地内に「薬石碑」がありました。明治の頃より名鉄小牧駅前の街道筋に薬の宣伝用として建てられていたそうです。三重県の薬業者「あかなべ」から薬を取り寄せ、小牧駅前で薬問屋を営んでいました。今でいう宣伝用の看板が街道筋にあったわけです。ここで働いていた人が名古屋に移って来た時この石碑を譲り受け昭和44年自分の敷地に石碑を移転、片隅に建てられました。
2017年、ここにマンションが建設されることになり「薬石碑」も昨年末取り払われ、しばらく西の駐車場に寝かされていました。建設が進んだ現在駐車場もマンションの敷地となり今や石碑の所在も分かりません。旧街道にあった「薬石碑」も見ることは叶わなくなりました。

IMG_6180.jpgあべのはらぐすり  今はマンション北の立体駐車場になった空き地に寝かされていた石碑。
この面は「いせ四日市 伊藤半助製」と読める。
DSC02544井藤半助


★参考 東区の歴史
 

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