歩こう!文化のみち

By , 2018年11月5日 8:32 AM

町並み保存地区一帯のイベント
秋のまつりで恒例の11月3日は名古屋城から徳川園に至る文化のみち一帯で開催される「歩こう!文化のみち」があります。秋晴れの中「スタンプラリー」「大正浪漫着物道中」「尾張漫才門付け」「登録文化財の施設公開」など数々の催しがありました。東区内の「町並み保存地区」では各施設のガイドツアー、金城学院高校でのパイプオルガンコンサート、文化のみち橦木館での二胡コンサートと人力車体験、文化のみち百花百草でのママさんコーラスなどに家族連れなど大勢にの人々が町を歩きいつも静かな町が賑わいました。

IMG_2943尾張漫才 IMG_2948着物道中
主税町 豊田佐助邸前庭で披露された
「尾張万歳門付け」
主税町カトリック記念聖堂を出発する着物道中
今年は時代に関係なく、弁慶?、武将、鹿鳴館洋装

瑞龍みこし

By , 2018年10月28日 9:10 PM

片山八幡神社 瑞龍神輿(みこし)  徳川二丁目
10月はあちこちで祭りが開催されています。先週の日曜日は名古屋まつりで建中寺では5輌の山車が勢揃いしましたが、毎年翌週の日曜日は片山八幡神社の例大祭で瑞龍みこしが担ぎ出されます。東区寺巡りをもう1回休み、日没になり境内に戻って来た瑞龍みこしをアップします。
片山八幡神社の創建は第26代継体天皇の5年(527)にさかのぼると云われています。戦国時代には焼失、その後元禄8年(1695)尾張二代藩主徳川光友により再興されました。この地は名古屋城の東北、鬼門に当たり鬼門除けの社としてあがめられました。昭和20年の戦災で多くを焼失しましたが、その後の大改修工事により復興しました。今日の例大祭ではこの八幡社が再興した「元禄8年」に因んで平成8年から始まったという金色の「瑞龍みこし」が曳き出されました。この名の由来は光友公の別称「瑞龍公」から名付けられたといいます。多くの担ぎ手により勇壮華麗なみこし神事が午後から氏子町内である北区六郷学区(大曾根)、東区旭丘学区を練り歩き夕刻八幡神社へ戻ってきました。恒例の女みこしも勇壮で、市内最大級のみこし行事となっています。

IMG_2909瑞龍みこし 縮小 IMG_2916男みこし 縮小
 女みこしの掛け声も素晴らしい   練り歩きを終え神社に戻る男みこし

★参考資料 片山八幡神社由緒書 ひがし見聞録

なごやかまつり・ひがし

By , 2018年10月21日 9:52 PM

宵の山車揃え
10月20日、21日は恒例の名古屋まつりでした。晴天に恵まれあちこちでイベントが行われましたが、東区でも「東区制110周年」記念事業として建中寺付近では夕刻から人形からくり披露、曳き出しなどが行われました。シリーズの東区寺巡りをはずれ、10年に一度開催される「宵の山車揃え」の様子をアップします。建中寺境内には5輌の山車が勢揃い、暗闇の中灯りを付けた提灯に照らされからくりが演じられ観衆の喝さいを浴びました。

IMG_2884古出来町 IMG_2887筒井
  古出来町の「王義之車(おうぎししゃ)」     筒井町の「神皇車」

東区寺巡り (No.6)

By , 2018年10月19日 8:39 PM

 富永山養念寺 泉三丁目3
観音院室寺に隣接した舎人公園を北に200m程行くと養念寺があります。ここはすでに「戦争の爪痕を残す風景」で穴の空いた梵鐘を紹介しましたが、寺の由緒について少し補足してみます。この寺は浄土真宗大谷派東本願寺の末寺で慶長2年(1597)現国道19号線の東、萱町に寺を建立し、同9年現在地の旧飯田町に移転したといいます。檀家であった三浦氏の娘、宣楊院が尾張三代藩主綱成の側室となり、七代藩主宗春の生母となりました。その縁で宗春の筆になる掛け軸も残されています。ということでこの寺は東区に沢山見られる清須越の寺ではありませんが尾張徳川家とはゆかりのある寺といえます。寺の奥にある庭園は寺の創建前からある古池で低地で泥土の色が黒かったため、透き通った水が黒く見え「烏ガ池」と呼ばれています。山門右にある教育委員会が設置した標札には江戸時代多くの文人・墨客が訪れたと記されています。池の見学は寺のイベントなどの催しがある時に限られています。

CIMG1486縮小 CIMG0042養念寺掛け軸
  山門脇にある標札と「烏ガ池古跡」と彫られた石柱     宗春筆と添えられた掛け軸、
養念寺で内覧会の折、撮影。

★参考 ひがし見聞録 名古屋市史

東区寺巡り (No,5)

By , 2018年10月4日 8:47 PM

谷汲山観音院室寺(むろでら) 泉三丁目7
貞祖院をさらに東へ歩いてみます。旧鍋屋町に出て東へ50mくらいで「圓明寺」がありますがここは前回のシリーズ「戦争の爪痕を残す風景」で紹介したのでリンクして見て下さいね。ここを通り過ぎると南にひし形の舎人公園がありこの公園の北東に「谷汲山観音院室寺」を見つけることが出来ます。すぐ東には国道19号線が走っています。浄土宗の寺で延宝3年(1675)に創建、徳川義直の側室の母のために堂宇を再興したとのことでここも尾張徳川家とのゆかり有る寺です。本尊は11面観世音菩薩像です。No,4で紹介した貞祖院が焼けた天明2年(1782)の大火でそこから程近いこの寺も焼失しました。門前の両側には「谷汲山」と記された石塔があり、美濃の国(岐阜県)にある谷汲山は西国33カ所巡りの結願33番札所です。境内左手には江戸時代後期(文政年間~天保年間)に造られたという西国33カ所巡りの観音石造が祀られ、お揃いの前掛けを着け後世の人々を見守っているようです。しかしながら境内にあった大きな楠木もいつの間にかバッサリ切られ、最近では寂れた感じさえします。近所では「お地蔵様」の寺として親しまれていましたが古老たちがだんだん亡くなりお参りする人も少なくなったようです。

 
観音院室寺
IMG_2578観音院縮小
  本堂前の赤いロウソク立てが、うまく調和している
IMG_2581谷汲山縮小 IMG_2579観音像縮小
 谷汲山と彫られた石塔が左右にある  お揃いの前掛けがかわいい

★参考資料 名古屋市史

東区寺巡り (No.4)

By , 2018年9月27日 7:25 PM

喜秀山 貞祖院 泉三丁目
No,3で紹介した遍照院から少し東へ歩いてみます。この一帯は昭和52年前後の住居表示変更以前は舎人町とよばれていました。今回の貞祖院も徳川家ゆかりの寺で清須城主であった松平忠吉(家康四男)の養母が慶長12年(1607)28歳という若くして亡くなった忠吉の位牌所として清須に建立したのが始まりです。その3年後慶長15年この養母が亡くなり、その戒名から貞祖院玄白寺と称しました。浄土宗の寺で17世紀中ごろまでに清須より当地に移されたと云います。(諸説あるようで門前の標識より)天明2年(1782)の大火により寺坊を焼失、その後は仮本堂が建てられました。明治5年(1873)同じ浄土宗の建中寺より尾張徳川家御霊廟(おたまや)を譲り受けこれを本堂として現在に至っていると云います。幸いにも昭和20年の空襲にもかろうじて難を逃れました。本堂内部は漆喰や天井は外陣は格天井、内陣は折り上げ天井で極彩色です。名古屋における江戸時代建築の遺稿として歴史的価値のあるものです。
残念ながら本堂の中へ通常入ることは出来ませんが、イベント、寺院公開の折には見ることが出来ます。11月3日の「歩こう!文化のみち」のイベントには公開されます。ぜひ見学して下さい。

貞祖院
DSC05292貞祖院縮小
DSC05291本堂 貞祖院格天井071
 貞祖院本堂   本堂外陣の格天井(ひがし見聞録から)

★参考資料 ひがし見聞録、貞祖院由緒書、門前標識、寺社建造物

東区寺巡り (No.3)

By , 2018年9月11日 1:51 PM

摂取山 遍照院(へんじょういん) 泉二丁目

今度は高岳院から東へ一区画隔てただけの寺を案内しましょう。
開山は「尾張名所図会」によると元和の頃(1615~1624)願誉念宗坊とあります。元和7年(1621)堂守の僧、念宗(ねんしゅう)和尚が藩主義直に願い出てこの地を拝領し、知恩院末寺「念宗寺」としました。延宝8年(1680)には遍照院と改称しました。名所図会には本堂の脇に石造の五重塔と地蔵堂が描かれていますが、現在は寺の前の道沿いにお首地蔵と33観音があります。33観音は当寺10世により越後国村上から寺蔵堂を移転したのが始まりです。お首地蔵は昭和11年(1936)に建立され頭痛に効能有りと云われています。この寺は古地図によるとNo.2で紹介した高岳院(こうがくいん)から東に100m程の地にあり、開山当初は地続きでした。清須越の寺ではありませんが尾張徳川家とは係わりのある寺です。昭和20年の戦災、その後の区画整理により高岳院とは離され寺領も狭くなっています。現在は一部駐車場にもなっています。
★参考資料 尾張名所図会、ひがし見聞録

遍照院
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IMG_2564縮小 IMG_2565首地蔵
  境内にある石造五十の塔   33観音の左に置かれた首地蔵

東区寺めぐり(No.2)

By , 2018年9月3日 9:13 PM

持名山 高岳院(こうがくいん) 泉二丁目1
No.1で紹介した大光寺は平岩親吉(ちかよし)ゆかりの寺と紹介しましたがもう一つ平岩親吉ゆかりの寺を紹介したく高岳院まで歩いてみました。
親吉には子供がなく徳川家康の八男仙千代を養子に迎えていましたが慶長5年(1600)6歳で早世、仙千代菩提の為親吉所領のあった甲斐(甲府)に浄土宗の持名山教安寺を建立、その後親吉の国替えと共に清須へ、慶長16年(1611)現在地に移り寺名も仙千代の法名から「高岳院」と名を変えました。当時の寺領は3000坪にも及ぶ広大なものでしたが、明治には800坪程になったと云います。昭和20年の空襲ですべてを焼失、その後国道41号、19号(桜通り)の新設、拡張により寺領は再び狭くなりました。明治4年までは町名は「高岳院前(こうがくいんまえ)」、その後「高岳町(たかおかちょう)」、昭和52年の住居表示に関する法律により「泉2丁目」と名が変わりました。現在では地下鉄桜通り線の駅に「高岳(たかおか)」の名を残すのみです。云われのある町名がだんだんなくなっていくのは寂しいですね
尚、高岳院をこの地に移した慶長16年12月30日に(1600)平岩親吉は死去しました。

高岳院
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 西隣のガソリンスタンド、北のビルも寺領    高岳院山門

★参考 東区の歴史、ひがし見聞録、尾張名所図会

東区寺めぐり (No.1)

By , 2018年8月25日 11:20 AM

「戦争の痕跡を残す風景」シリーズはおりしも終戦記念日の前日に終了となりました。各メディアでもその頃になると戦争の悲惨さを物語る記事が多く取り上げられました。東区でも73年も経過した現在、その痕跡は数少なくなってきましたが忘れてはならない貴重な遺物です。新しいシリーズは「東区寺めぐり」と題してあちこちの寺を探して歩きます。東区に建立されている寺は何らかの形で尾張徳川家に繋がっている寺が多く、すでに「東寺町」と題してこのブログで発信してきました。右のカテゴリーから「東寺町」を選んでご覧ください。各寺にはそれぞれの由緒があります。そんな云われを紹介します。

妙瑞山 大光寺  泉二丁目5 

大光寺
この寺は天文年間(1532~55)甲州武士により群馬県に創建された寺と云います。徳川家康の重臣平岩親吉(ちかよし)のゆかりの寺で日蓮宗の寺です。慶長の初め現群馬県前橋に移り「大光寺」と名を改めました。親吉の国替えで甲府、さらに清須へ移転、慶長15年(1610)清須越で東区の現在地へ移りました。昭和20年3月、B29による空襲で本堂、山門すべてを焼失、その後昭和40年本堂が再建されました。江戸時代の古地図で見ると参道は旧鍋屋町に面してあり、敷地も広大であったようです。

 清須越とは名古屋城築城に伴う清須から名古屋への都市の移転で慶長17年(1612)から元和2年(1616)頃迄に行われました。住民、建物はもちろん、町名、橋の名(五条川は良く知るところ)までも移され、のちに清須越と云われました。「きよす」の文字については明治22年までは清須と表記されていたので今回はこの「清須」を使います。

image1 image1 (010)大光寺本堂
  大光寺山門   本堂はインドの仏塔風の様式です

★ 参考資料 大光寺由緒書、ひがし見聞録、東区の歴史

戦争の痕跡を見る (No.7)

By , 2018年8月13日 2:54 PM

大曾根駅殉職者慰霊碑 東大曽根町
今年の名古屋は異常な暑さで40℃を上回る日もたびたびありました。東区を歩くこともしばらく休止してしまい申し訳ありませんでした。
間もなく73回目の終戦記念日8月15日がやってまいります。JR中央線大曾根駅南口の線路の西側には当時の国鉄職員30人が殉職したという慰霊碑が建てられています。大曾根駅付近では昭和20年4月7日午前11時から2時間アメリカ空軍のB29による激しい空襲を受けました。主目標は三菱重工名古屋発動機製作所でした。この時旧国鉄大曾根駅には約100人の乗客がいましたが、駅員のとっさの判断で乗客を列車に乗せ駅に避難中の中津川行きの列車に乗せ勝川駅まで送り出しました。その後駅員たちは防空壕に避難したものの直撃を受け30人が命を落としました。昭和21年この御霊を偲んで慰霊碑が建てられ石碑の裏には「昭和20年4月7日大曾根駅に於ける殉職者」と題して犠牲になられた30人の氏名が刻まれています。うち12人は女性でありました。この慰霊碑が置かれた場所はかつては大曾根駅南口改札口を入った所にあったものが現在地に移設され、乗降客以外でも目に触れることはできるようになりました。しかしながらここを通る人はほとんどなくなり又もや人々の目に触れる機会がなくなってきたようです。今回も戦争の傷跡ではありませんが、この碑も戦争を思い起こす貴重なものです。

慰霊碑
IMG_2469大曾根慰霊碑
 この位置ではあまり目につかないのが残念です  右の高架がJR中央線、東側に南口改札
IMG_2470慰霊碑No.2 IMG_2471慰霊碑背面
 立派な慰霊碑も今や忘れ去られたように  殉職者30人の名が刻まれています

★参考 ひがし見聞録、 文化・情報・広報誌「風は東から」第2号、第32号

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