花情報

By , 2021年2月23日 5:43 PM

オオカンサクラの開花

2月23日は天皇誕生日でした。コロナ禍で多くの行事などが中止、縮小となりましたが、三寒四温の気候の中で泉2丁目、3丁目を隔てるオオカンサクラの並木道にいち早く開花した花を見つけました。飯田町南の信号機近くにあるオオカンサクラは日当たりの加減でしょうか、毎年一番早く開花する木です。久しぶりに空を仰ぎメジロたちがやってくる風景を目にすると季節の移り変わりを感じます。
3月14日は名古屋女子マラソンが開催されますが、沿道での応援は密集エリアとなるため沿道応援の自粛が求められています。しかしながら愛知県の緊急事態宣言は今月末に解除されるようでもあります。その頃は桜通り高岳東辺りから満開のオオカンサクラが見られます。

IMG_6407.jpgオオカンサクラ縮小 IMG_6416.jpgオオカンサクラ チラホラ

 

 

町並みの移り変わり (続13)

By , 2021年2月10日 3:44 PM

名古屋東税務署の新庁舎 主税町3-18
名古屋東税務署は平成30年5月から旧庁舎替えの為泉1丁目に移転中です。令和3年1月には旧所在地に新庁舎が完成、敷地面積千坪余に地上5階地下1階の建物とゆったりした駐車場も併設されました。
この地区は名古屋市の景観形成地区に指定され西の国道41号線角には「主税町教会」向えには陶磁器輸出商「旧春田鉄次郎邸」豊田佐吉の弟である「旧豊田佐助邸」など大正時代に建てられた建物が点在している町並み保存地区です。
周囲の景観に溶け込むイメージを期待していたのですが、白いビルは町並みに目立つ存在になってしまいました。緑区にある「税務大学校名古屋研修所」も併設され、未だ業務も行われていないようで閑散としています。確定申告時期になると静かな町並みも一変して人通りが多くなりますが、令和2年度の申告は旧庁舎のようです。
2020年7月31日発信の(続7)には工事の経過を発信しています。右のカテゴリー、町並みの移り変わりから)

IMG_6271.jpg全景縮小 IMG_6256.jpg縮小
 後ろは名古屋都市高速、国道41号線が平行   税務大学校名古屋研修所の案内看板

 

町並みの移り変わり (続12)

By , 2021年1月28日 8:16 PM

薬石碑 平田町(へいでんちょう)交差点西

国道19号線、平田町(へいでんちょう)西の南北の道は現在相生町ですが、江戸時代は善光寺街道と呼ばれ、大曾根口を通り中山道大井宿に通ずる道でした。この相生町33には「薬石碑」が建てられていました。
以下は、右の記事の分類から「町並みの移り変わり」No.7/2017.7.4に投稿した内容の一部ですが、2017年にはマンション建設のため取り払われ、西の駐車場に寝かされている記事です。ところが2019年マンション完成後あの石碑が以前あった西の道路から迎えの民家の駐車場の一角に再建されて驚きました。南に「あかなべはらぐすり」と良く読めるものです。「あかなべ」というのは三重県の薬業者の屋号といいます。

外堀通り線を北の相生町すぐの敷地内に「薬石碑」がありました。明治の頃より名鉄小牧駅前の街道筋に薬の宣伝用として建てられていたそうです。三重県の薬業者「あかなべ」から薬を取り寄せ、小牧駅前で薬問屋を営んでいました。今でいう宣伝用の看板が街道筋にあったわけです。ここで働いていた人が名古屋に移って来た時この石碑を譲り受け昭和44年自分の敷地に石碑を移転、片隅に建てられました。
2017年、ここにマンションが建設されることになり「薬石碑」も昨年末取り払われ、しばらく西の駐車場に寝かされていました。建設が進んだ現在駐車場もマンションの敷地となり今や石碑の所在も分かりません。旧街道にあった「薬石碑」も見ることは叶わなくなりました。

IMG_6180.jpgあべのはらぐすり  今はマンション北の立体駐車場になった空き地に寝かされていた石碑。
この面は「いせ四日市 伊藤半助製」と読める。
DSC02544井藤半助


★参考 東区の歴史
 

旧豊田佐助邸塀の修理

By , 2021年1月13日 9:49 PM

2021年の新しい年を迎えました。増え続けるコロナウィルス感染者にとうとう愛知県にも緊急事態宣言が発令され「東区を歩こう!」もやはり足並みが遅くなるようです。
主税町三丁目にある旧豊田佐助邸の前を通ると塀の修理が行われていました。通常は公開(月曜日休館)されていたのですが、昨年末から3月半ばまで休館ということです。この邸宅は自動織機の発明で名をなした豊田佐吉の弟、豊田佐助の邸宅として大正12年建築の和館とそれ以前に建てられていた洋館からなっています。現在は所有者のアイシン精機から名古屋市により維持管理されています。石造りの門には門を覆うような見越しの松があったのですが、少し奥に移植されていました。こんな老木を移し替えても再生するのか心配で見守っていきたいです。左手の袖には結構古い梅が植えられていましたが取り払われていました。もうすぐ梅の開花が楽しめたのと思うとちょっと残念です。

IMG_6173.jpg佐助邸工事 IMG_6179.jpgみこしの松
 白い養生塀におおわれて中の植栽も間引かれています  奥に移植された見越しの松

 ★右のカテゴリーから「町並み保存地区、施設、建物」olderから「主税町町並みその5 旧豊田佐助邸」も併せてご覧ください。

町並みの移り変わり(続11)

By , 2020年12月27日 8:58 PM

禅隆寺の山門改築その後

今年も後わずかで新年を迎えます。町並みの移り変わりも古い家が取り壊されマンション化、老朽化した寺の山門の改修など変わる町並みの様子をお伝えしていますが改築中の様子も見て行きたいと思います。
飯田町バス停前の禅隆寺は毎年紅葉が美しく紅葉狩りの人々や写真愛好家が集いシャッターを切る姿がありました。今年は残念ながら2月頃から始まった山門と塀の改築のため、訪れることは出来ませんでした。清須から移築した山門は400年の年月でとうとう新しく建立されることになりましたが後世に残るものとなるでしょう。完成は年末の予定だったそうですが、やはり宮大工さんの手作業ではなかなか進まないそうです。それでも葵の紋の瓦、懸魚、「興」と読める鬼瓦等を見ることが出来ます。3月のお彼岸には完成?などとお庫裏様からお聞きしました。(続6もご覧ください)

禅隆寺 IMG_6120.jpg禅隆寺山門 側面
 少し全体が見えてきました。軒瓦には葵の紋 鬼瓦「興」の文字は宗興山の山号からかな?



芭蕉発祥の地 久屋大通パーク

By , 2020年12月4日 4:33 PM

「東区を歩こう!」を一か月もお休みしてしまいました。
コロナ感染予防のため、少しは自粛もありました。これからももう少しゆったり歩くことになりそうです。
テレビ塔周辺は久屋大通パークとして整備され、9月18日にオープン生まれ変わりました。テレビ塔の足元にある「芭蕉発祥の碑」は以前と変わらず同じ位置に残され、今迄素通りされたこの碑に足を止める人が見られるようになりました。
この地は貞享(じょうきょう)元年(1684)芭蕉が「野ざらし紀行」の旅の途中名古屋に立ち寄り、土地の青年俳人と七部集の第一集「冬の日」を興行したところといいます。
今まで言葉の遊戯でしかなかった俳諧を芸術の領域まで向上させたという句集でこの歌仙を興行した場所を「芭蕉発祥の地」とよんでいる。その場所がテレビ塔東北、宮町筋久屋町西入る南側にあった「傘屋久兵衛宅」という。この碑の場所辺りがその邸宅で昭和41年3月までここは東区久屋町であった。現在は町名変更で中区丸の内三丁目となっている。
又、この碑の右には平成4年、「野いち会」により設置された「名古屋三俳人句碑」があり、寛政の三大俳家の一人とされた東区泉2丁目の大光寺に隣接して居住した「井上士朗」の名も有ります。

IMG_6079.jpg芭蕉碑 縮小 IMG_6086.jpg名古屋三俳人
「芭蕉発祥の地」と記された碑 右には「名古屋三俳人句碑」がある

 ★参考資料 ひがし見聞録 テレビ塔設置の標札

町並みの移り変わり (続10)

By , 2020年11月3日 4:24 PM

主税町の私邸
東区の町並み保存地区は通るたび、様子が変わり旧宅が取り壊されています。江戸時代は武家屋敷、大正から昭和の初めにかけては企業家たちの邸宅が建ち並ぶ一帯でした。一番に感じるのは何処の家々もその敷地の広さです。幸い昭和20年の戦災も逃れその時代に建てられた邸宅も残っています。橦木町の「文化のみち橦木館」主税町の「豊田佐助邸」などはその一部で、現在はその家の方々が住むのではなく一般に公開されています。私邸もまだ残されてはいますが8月末黒塀に囲まれたある邸宅が取り壊され始め、内部の家の様子が見ることができました。洋館と和館が併置され、黒塀の黒門を通り抜け又小さな門をくぐると和館の横に玄関がしつらえてあるようでした。全く「橦木館」を同じ造りであることを感じ昭和の初めに建てられたのかと想像が出来ます。えっ、又マンションかと思いきや、HR私邸の工事標札を見て安堵しました。どんな邸宅に生まれ変わるのか、時代の流れを受け止めています。

IMG_5799.jpg堀内邸黒塀 IMG_5811.jpg黒門
黒塀に囲まれた私邸 この黒門の中の家はどんな家?といつも思っていた
IMG_5815.jpg洋館と和館 IMG_5804.jpg内玄関
洋館と和館が併設されていた 上の写真黒塀の奥の通り庭
IMG_5955.jpgHR邸新築工事 IMG_6014.jpg新築工事、蔵
綺麗に整地されその広さは凄い! 白い工事囲いの奥の蔵とその隣の建物は残された


 

 

松山神社例大祭

By , 2020年10月14日 7:30 PM

泉3丁目2(旧飯田町)の松山神社では毎年恒例の例大祭が10月14日夕刻6時から執り行われました。かつては旧鍋屋町の子供みこしも松山神社に揃い、夜店も出てにぎやかなものでした。年々こうした行事の簡素化、子供達の関心の薄れから最近では例大祭のみとなりました。それでも昨年までは金魚すくい、カラーボール等氏子役員さんが色々楽しみを考えていたようでした。大人にはお神酒、甘酒も振る舞われたのですが、今年はコロナウィルス感染防止から行事も縮小、太鼓の音と神楽だけは昔と変わらない大祭の様子を伺うことが出来ました。

IMG_5960.jpg松山神社 IMG_5961.jpg松山神社 稲荷神社

 

徳川園観月会

By , 2020年10月2日 4:58 PM

徳川園の 中秋の名月

IMG_5911 10月1日は中秋の名月でした。徳川園で「夜に憩う夕涼み」と題して9月30日と10月1日に観月会が催されました。
龍仙湖に和船を浮かべ、ススキ,リンドウなど秋の花とともにお団子が飾られライトアップに浮かび上がっていました。
10月1日は雲一つない天気となり、東の空からだんだん高くなって南に移動していく満月は龍仙湖の周りどの角度からも眺める事ができました。徳川園のはからいで見どころスポットには縁台も設けられ来園者は心ゆくまでこの満月を眺めていました。月に描かれたウサギも良く分かります。
写真は龍仙湖に浮かぶ和船と灯りのある観仙楼、満月です。 

 

IMG_5935.jpg徳川園黒門 IMG_5928.jpg月見舟
 徳川園黒門の屋根に浮かぶ満月   龍仙湖に浮かぶ和船にはお団子と秋の花。


旧名古屋テレビ塔リニューアル

By , 2020年9月22日 2:14 PM

名古屋テレビ塔は昭和29年に日本初の集約電波塔として完成、高さは180m、東京タワーの333mには及びませんが平成17年には国の登録文化財に指定された歴史的建造物です。昭和34年には久屋大通が建設され中央帯が久屋大通公園、その東と西に100m道路が設けられました。東の道路が東区と中区の境界となります。9月18日リニューアルされたテレビ塔がオープン、地上90mのスカイデッキからこれもリニューアルされた久屋大通パークの芝生広場、テレビ塔が移り込む水の水盤を見下ろしました。現在「ヒサヤオオドオリパーク」は北は外堀通りから錦通りまで約1kmですが南の矢場町まで中央帯は続きます。

IMG_5852.jpgテレビ塔説明版 IMG_5874.jpg登録文化財
  テレビ塔付近に設置された「かつてここから見た久屋大通」  エレベーターの前に掲げられた国の登録有形文化財
IMG_5876.jpg水の水盤 IMG_5878.jpg展望台からのオアシス21
 テレビ塔南に設けられた水盤にはテレビ塔が移り込むしかけ   スカイデッキの南東には「オアシス21」が真下に

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