Category: 明倫堂

明倫堂、ゆかりの地を訪ねて その2

By , 2015年7月15日 4:13 PM

「永照寺本堂(明倫堂聖堂)」 羽島市福寿町平方
明倫堂ゆかりの地を訪ねて(その1)で紹介した明倫堂聖堂が岐阜県羽島市「永照寺」の本堂として残されているということで訪ねてみました。現中区東照宮にあった「明倫堂」の聖堂は明治維新後の廃藩置県により明倫館も廃止され、聖堂も売却に出され明治6年(1873)に羽島市の永照寺に移され本堂として改築されたという。そのままの場所に残されていたら昭和20年の戦災で焼失していたが移築されたおかげで羽島市の永照寺で聖堂を目にすることが出来るわけです。

DSC00792明倫堂聖堂縮小 DSC00793石碑縮小
 DSC00795浜縁,木階(もっかい)縮小  DSC00801永照寺山門

この聖堂は入母屋、妻入り、唐破風向拝(からはふうこうはい)付、桟瓦屋根(さんがわらやね)、周囲に浜縁(はまえん)を巡らし、正面には木階(もっかい)を設けています。妻入りとは縦長になった側面が正面となった入口のことで、内陣は外陣より2尺以上高くなっているという。向拝は後拝とも書きますが本屋から張り出して設けた庇を設けた部分です。こうした構造は一般寺院には見られない形式で、聖堂の建築も種々の変遷があったようであるが、天明頃の一形式を知る上で貴重な資料という。
昭和30年には岐阜県重要文化財に指定されました。
★参考資料 岐阜県教育委員会社会教育文化課ホームページ

DSC00799本堂内部縮小 永照寺は山号を光明山、浄土真宗大谷派の寺です。1533年に光照寺として開創されましたが、長島一向一揆で破壊されその後永照寺として再興されました。写真は改築された現在の永照寺の本堂内部です。お庫裏様にお願いし、写真を撮らせていただきました。天明7年(1787)の建築ですから築後220年以上も経ています。

 

明倫堂、ゆかりの地を訪ねて その1

By , 2015年7月4日 8:52 PM

「明倫堂趾」石碑 中区丸の内二丁目3
中区丸の内二丁目、東照宮内に「明倫堂趾」石碑があります。明倫堂は尾張9代藩主徳川宗睦(むねちか)により、天明3年(1783)藩士の子弟の教育のため建てた学問所(藩校)でした。儒学者であった細野平洲を初代総裁に迎え、名古屋城郭外南(現東照宮内)に創設しました。武士をはじめ農民、町人の別なく彼の講義に列することを許しました。明治4年(1871)には廃藩置県により廃校となりました。その後は「句碑・石碑を見つけよう!」No.9,No.10で紹介した「私立明倫中学校」「愛知県立明倫中学校」「愛知県立明倫高等学校」合併により「愛知県立明和高等学校」と変遷をたどりました。
なお、東照宮は尾張初代藩主義直公により、家康公逝去3年後元和5年(1619)日光鎮座の式に準じて名古屋城郭内三の丸に鎮座しました。明治9年には明倫堂跡地である現在地へ遷座されました。東に隣接している那古野(なごや)神社はこの辺りの氏神神社ということです。

DSC01378明倫堂 DSC01379縮小2

★参考 「東見聞録」「東照宮の栞」

 

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