ゆかりの地を訪ねて (No.5)
東区にある佐吉を支えた人々の邸宅
「ゆかりの地を訪ねて」No.4でアップしたトヨタ産業技術会館での企画展で紹介された11人のうち東区には旧豊田佐助邸、西川秋次邸、旧豊田利三郎邸の門と塀が現存しています。そんな3人の旧宅を紹介します。
★豊田佐助邸
豊田佐助は佐吉の末弟ですが佐吉の織機の評価試験・研究・資金などで支えた人です。主税町の中程に大正5年(1916)建築の木造2階建ての洋館と大正12年(1923)建築の木造2階建ての和館が併設された邸宅があります。敷地面積600坪のこの邸宅で佐助は昭和37年迄暮らし80歳で亡くなりました。その後一時期アイシン精機の福利厚生施設に使われたことがありましたが、老朽化が激しく平成7年に水周り部分の一部が解体されました。現在はアイシン精機から名古屋市が維持管理を委託され公開されています。(月曜日休館)佐助邸について詳しい事はこちらをご覧ください。
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豊田佐助邸門 | 左、和館と右洋館 |
★西川秋次邸
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西川秋次は一貫して佐吉の事業に協力、紡績事業の技術面と上海の紡織事業で経営を支えた人で佐吉の右腕ともいえる人です。佐助邸から程近くに西川秋次邸があります。大正末期に建てられた邸宅は戦災で3階と2階部分を焼失し、改築されましたが、昭和56年取り壊され建て替えられました。門と塀は大正時代創建当時のままの姿で残されています。個人のお宅で了解を得ていませんので今回の紹介はここ迄です。 |
★旧豊田利三郎邸の門と塀
豊田利三郎は佐吉の長女愛子と結婚し、豊田家に入籍。紡績業主体の事業から繊維機械・自動車等、機械産業事業への拡大・多角化を図り経営者としてグループ経営に携わりました。豊田自動織機初代社長。トヨタ自動車工業の初代社長を務めました。
豊田利三郎邸は白壁町に大正7年(1918)に建設されました。邸宅は昭和60年にマンションとなり、江戸時代の様式を模して造られた薬医門と武者窓を備えた塀が当時のまま残されています。平成3年には都市景観重要建築物に指定されています。マンションと記しましたが様子が一変しました。この記事について次回に続きます。
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薬医門の正門 | 武者窓のある塀 |
参考資料 ひがし見聞録・小説西川秋次の生涯・トヨタ産業技術記念館パンフレット