Category: 句碑・石碑を見つけよう!

句碑・石碑を見つけよう! (No.6)

By , 2015年5月2日 3:38 PM

「徳川園内 浅野梨郷の歌碑」 徳川町1001

img001 徳川園は名古屋城本丸の東約3㎞にあり、尾張藩二代藩主光友が元禄8年(1695)自らの隠居所として造営したのが起源です。明治22年(1889)からは尾張徳川家の邸宅となりましたが、昭和6年第十九代当主義親により名古屋市に寄付され一般に公開されていました。しかしながら昭和20年の戦災で表門、脇長屋を残して消失、戦後は現代的都市公園として利用されてきました。平成13年以降日本庭園として再整備、同16年に開園しました。
この庭園は江戸時代の武家文化の象徴とされる池泉回遊式の大名庭園を現代に再現したものです。左の写真は戦災で焼け残った表門(黒門)で明治33年の遺構です。
DSC00275徳川園 DSC00276浅野梨郷石碑
DSC00278読み下し
 徳川園内、東北にある山里の風景が広がる一角に歌人「浅野梨郷」の歌碑があります。俳句ではなく短歌ですので歌碑というのでしょうか。梨郷は明治22年(1889)名古屋市で生まれ尾張藩士の子孫であったという。斎藤茂吉、伊藤左千夫とともにアララギ派の歌人で中部の短歌会のいしずえを築いた歌人でした。この石碑は氏を慕う歌人らによって昭和54年(1979)89歳で亡くなる2か月前に建立されました。
尾張藩士の家に生まれたのでゆかりのある徳川園に碑が建てられたといいます。

「 うつりつつ 静かに色を かえていく 豊旗雲の 空のたなびき」
石碑は変体仮名で刻まれているので左立札に読みやすく書かれています。豊旗雲は旗がなびいているようにゆったりと空にかかった雲ををいうそうです。
写真の上でクリックすると大きくなって見られます。
参考 徳川園パンフレット

句碑・石碑を見つけよう! (No.5)

By , 2015年4月24日 8:19 PM

「圓明寺のむくげ塚」 泉三丁目

 DSC00272圓明寺山門縮小
N0.4で紹介した大光寺から東へ150m程行った旧鍋屋町通りに圓明寺があります。浄土宗、東本願寺の寺です。もとは伊勢長島の松ヶ島にあったが、名古屋城開府以来長島町より名古屋へ移る人が多く延宝3年(1675)現在地に堂宇を移したという。名古屋城城下図を見ると名古屋城の南に出来た碁盤割りに長島町、桑名町という町名があります。この町名は長島町から多くの人達が移り住んだことから付けられたといいます。
この圓明寺の境内に「川島不究」の句碑「むくげ塚」があります。
DSC00268圓明寺境内縮小 DSC00269川島不究句碑
    圓明寺境内西にある「むくげ塚」            昭和31年4月15日建立

不究は明治22年名古屋市西区藪下町に生まれ、連句道において名古屋で本格的な達人であったという。他に謡曲(宝生流)、製陶(楽焼)を趣味としていた。昭和31年句集である著書「藪虱(やぶじらみ)」を刊行、同年圓明寺の檀家であったことからここに句碑を建立したといいます。
「木槿いつか はなびら畳み 月涼し」

この句は津島宵祭りに行った時詠んだもので夏の季語である木槿は夕方にはしぼむ一日花です。そんな木槿がしぼむ頃はもう涼しくなっていると詠んだものでしょうか?

不究の著書「藪虱」は何と変わったタイトルかと思っていたが、不究の後書に次のようなことが書かれていました。
(ヤブジラミは藪あたりに生えて録さま花らしい花もつけず、惨めに枯れてゆく姿が、私の生涯に似ているような気がする。)ヤブジラミという名の植物をここで初めて知りました。
参考図書  「山吹のあゆみ」 「藪虱」

句碑・石碑を見つけよう! (No.4)

By , 2015年4月13日 3:29 PM

「大光寺・井上士朗の句碑」 泉二丁目

DSC00242大光寺縮小
大光寺

旧鍋屋町通りから少し奥まった現泉二丁目5にある大光寺の南に隣接して江戸時代後期の俳人「井上士朗」の居宅がありました。士朗は医者である伯父の養子となり、通称「専庵」、産科医として活躍しました。久村暁台(くむらきょうだい)に俳句を学び、尾張の俳諧を背負って立った一人でした。寛政の三大俳家(江戸の鈴木道彦、京の江森月居、尾張の士朗)の一人とされていました。赤松を愛したことから晩年、代表的な俳号を「朱樹叟(しゅじゅそう)」といい、屋敷の南庭には赤松が植えられていた。現在では大光寺門前に「井上士朗宅跡」の石碑と境内に句碑があります。昭和42年5月士朗の155回忌に際し建立されました。住職のお話を伺うとこの石はは根府川石で赤くなっているのは鉄分が出てきているからだそうです。

DSC00239井上士朗石碑縮小 DSC00241標識縮小

「山里の 月夜を運べ 庭の松」
士朗はこの句を詠んだとき病床にあり、私は起きて出てゆく元気もないがせめて山里の月夜をここに運んでおくれと詠んだものという。

句碑・石碑を見つけよう! (No.3)

By , 2015年3月27日 9:42 PM

「情妙寺のくいな塚」 筒井町4丁目

DSC00186.jpg情妙寺縮小 源頂山情妙寺と称して日蓮宗身延山の末寺である。南蛮貿易で富を得た、尾州茶屋家は幕府の呉服師を拝命する一方、尾張藩の呉服御用を独占する別格の特権商人でした。この尾州茶屋家初代長吉(ながよし)が徳川家康の菩提を弔うため慶安2年(1649)位牌所として建立した寺です。
境内には元禄時代の俳人で芭蕉に師事した6世日陽和尚の俳句碑があります。50回忌である安永7年(1778)に13世により建立されました。
 DSC00184.jpgくいな塚縮小  DSC00185.jpgくいな塚縮小

本堂右手にある植え込みの一角に句碑があります。
「手のひらに 雨をしる夜の 水鶏哉」
水鶏(くいな)は水辺に住む鳥で昔は沢山いたが、乱獲されて今は絶滅危惧種に指定されています。水鶏は夏の季語、芭蕉は水鶏の鳴き声が好きでよく水鶏の句を詠んだという。手のひらにあたった雨で夏の到来を感じたのではないでしょうか。

 

句碑・石碑を見つけよう! (No.2)

By , 2015年3月17日 1:14 PM

「了義院の芭蕉句碑」 徳川二丁目
この寺は妙見山了義院と称し清須越日蓮宗の寺である。昔は月見の名所として「尾張名所図会」「尾張名陽図会」にも書かれている。
芭蕉は貞享5年(1688)三日月を眺める名所と云われていた大曽根坂上と呼ばれた高台にある成就院(当時の名)を訪ね、下記の句を詠んだ。現在でもこの寺周辺はなだらかな坂を留めています。

大曽根成就院帰るさに「有りとある たとえにも似ず 三日の月」
芭蕉50回忌の寛保3年(1743)笈日記(注)の句形により建立した句碑があったが、昭和20年の戦災で破壊、その後壊れた石をつなぎ合せて修復したものがあるが、その横に同24年新しい句碑が建立された。
この句を読み取ると三日月は色々なものにたとえられているが、例えば三日月眉、櫛,鎌などどれをとってもこの三日月が一番素晴らしい。というような内容という。(難しいです。皆様でご解釈のほどお願いします。)

    DSC00151.jpg了義院縮小  日蓮宗の寺であるが、なぜか鳥居がみられる。大阪府豊能群能勢町にある「能勢妙見(のせみょうけん)大菩薩」を勧請したからという。昔は神仏習合といい、同じ場所で神様と仏様をお祀りしていたので妙見大菩薩を仏教と同時に神道式に崇めようと鳥居が残されたといいます。1868年の神仏分離により、能勢妙見山はその沿革から寺として再認識されることになったということです。
この了義院でもその名残として鳥居が見られます。
 

 

 

005.jpg芭蕉句碑2個縮小 004.jpg新、句碑縮小
 右の句碑が寛保3年(1743)建立されたもので左にあるのは昭和24年並べて建立された新碑                                                                         

★(注)笈日記とは江戸時代中期に書かれた俳諧集で、芭蕉門下のすぐれた俳人(芭蕉十哲)の句を収めたものであるが、芭蕉終焉の記事に詳しいという。

句碑・石碑を見つけよう!(NO.1)

By , 2015年3月1日 10:09 PM

新しい年となった1,2月を諸事情でお休みしてしまいました。3月に入り日差しも明るくなり、桜の便りも待たれる季節になってまいりました。今月から心も新たにして又、「東区を歩こう!」を発信していきたいと思っています。今回のシリーズは「句碑・石碑を見つけよう!」と題して東区にある石碑を見つけながら歩きます。

「蕉風発祥の地」 中区錦三丁目

 この地は芭蕉が貞享元年(1684)の冬、伊賀上野から江戸に下る途中名古屋に立ち寄り、名古屋の青年俳人らと連句の会を催して句集「冬の日」の歌仙を興行したところという。俳諧は連歌から生れ、当初は「洒落」や「滑稽」を主たることばの遊びでしかなかったが、芭蕉は初めて芸術の領域まで向上させたという句集でこの歌仙を興行した場所を「蕉風発祥の地」とよんでいる。
その場所は「宮町通久屋町西へ入ル南側」にあった「傘屋久兵衛宅」とある。現在のテレビ塔東北の脚あたりと推定され、昭和45年12月「蕉風発祥之地建碑委員会」によって文学碑が設置された。
この辺りは昭和41年3月までは東区久屋町と表記されていたが現在は中区錦三丁目となっている。
DSC00111.jpg蕉風発祥の地
DSC00116テレビ塔前芭蕉石碑  DSC00115.jpg芭蕉石碑
  側面から見た石碑だが左手には名古屋テレビ塔  蕉風とは芭蕉とその門人によって確立された俳句の作風をいう

 

 

 

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