Category: 小公園に残る町名

小公園に残る旧町名を探して(No.3)

By , 2017年12月16日 9:20 AM

平田公園(へいでんこうえん)代官町2
No,2で紹介した舎人公園をさらに東へ国道19号線を渡り少し北へ行くとマックスバリューがあり、その北東辺りに「平田公園(へいでんこうえん)」があります。人通りもあまりなく近所の方しか目にしないような小さな公園です。初めての方はおそらく「ひらたこうえん」などと読まれるのではないでしょうか。名前の由来は徳川家康の家臣で、最も近くに仕えた「平岩親吉(ちかよし)」の法名「平田院(へいでんいん)殿越翁休岳大居士」によるものです。親吉の菩提寺は江戸期以前は三河にありましたが、親吉の国替えと共にその所領に移転、その後名古屋城築城にともない現在地に移り親吉没後は浄土宗「平田院」と名を変えました。
平田町という町名は明治4年町名施行により「平田院町」と呼ばれ、この一帯に「平田院」と称する寺があったことに由来しています。この町名も昭和56年には消滅し、代官町と名を変え今では「平田公園」と国道19号線と外堀通り線の交差点に名を残すのみとなりました。又「平田院」は平成2年天白区へ移転、現在は寺もありません。それでも平田町交差点東に「名古屋銀行平田町支店」と西には銭湯「平田温泉」とあるのはかつての名残のようです。

平田公園[/googlemap

DSC03364平田公園 DSC03359平田公園
  くまちゃんがプレートを持ち上げています   昔の町名が残された「平田公園」

★参考資料 ひがし見聞録・平田院沿革

小公園に残る旧町名を探して(No.2)

By , 2017年12月2日 3:33 PM

舎人公園 泉三丁目
No.1で紹介した七小公園から東へ行き南北に走る国道19号線の手前にひし形をした公園があります。今は消滅した町名である「舎人町」から「舎人公園」と名が付けられました。この公園から南西一帯は舎人町と呼ばれた町名でしたが今は公園にのみその名を残しています。この辺りは戦災で焼け、その後の区画整理により道が広げられこのようなひし形の公園となったようです。中区の「名妓連」、東区の「中京連」として芸者置屋もあり、又芸者さん達も数多く住まれた町でした。「中京祇園街」として昭和40年代までは芸者さん達も行きかい華やかな町でした。舎人町という名は江戸期からあり、名古屋城下の武家町の一つですが町名の由来は「舎人八左衛門」という武士の先祖が住んでいた説(尾張志)と、慶長年間藩祖義直公が鷹狩に出かけた時、側近の舎人某が遅刻してこの地にはせ参じ、地名を聞かれた時、答えられなかった。その時義直に「遅れた記念に舎人町とせよ」と言われてついた町名と諸説あるようです。

舎人公園[/google

DSC03348舎人公園 石 DSC03353明るさ 舎人公園
        舎人公園    今年はイチョウの黄葉がきれいです

★参考資料 東区の歴史、HP東ネット「東区あらかると」

小公園に残る旧町名を探して (No.1)

By , 2017年11月24日 12:55 PM

七小公園 泉二丁目
今回からのシリーズとして町名変更による失われた町名がわずかに小公園として残っている公園を探して歩きます。
昭和37年「住居表示に関する法律」が制定され、名古屋都心部の旧町名が一挙に消滅しました。東区の旧町名は藩政時代、明治時代に名付けられたものも多く、それぞれに由来があり町名変更により歴史的遺産が消えていくようです。昭和51年の区画整理以前には現在泉二丁目と称されている一部分には七小町(ななこまち)という町名がありました。明治の初めこの辺りに7個寺「(高岳院(こうがくいん)、善光寺、養蓮院、遍照院(へんじょういん)、普蔵寺、正覚寺、東漸寺(とうぜんじ)」があったことから七小町と名付けられました。正確には七個寺の門前町であったのですが、いつの間にか「七小」になったということです。現在はその跡地を含めて「七小公園」と称してその名を留めています。なお、7か寺のうち現在残るのは高岳院、遍照院のみとなって他は移転したということです。

七小公園
image1七小公園縮小
 イチョウの木が黄葉して見頃です

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