Category: 文章

戦争の痕跡を見る (No.5)

By , 2018年6月21日 9:16 AM

 妙見山了義院 徳川二丁目
了義院は日蓮宗の寺で昔は成就院と称して月見の名所でありました。No.4で紹介した片山神社から2~300m西に在り、この辺りも月見坂と呼ばれ北と東へ下る坂道があり月見の名所であったのでしょう。現在でもなだらかな坂は残り当時を想像することは出来ます。
俳人松尾芭蕉は貞享5年(1688)かねてから三日月を眺める名所と聞いていた大曾根のこの成就院を訪ね、この月見坂から三日月を眺める句を詠みました。「有りとあるたとえにも似ず三日の月」と詠まれたこの句は芭蕉50回忌の寛保3年(1743)に芭蕉門下により句碑が建立されました。しかしながらこの句碑は昭和20年の戦災で破損、その後破損した原碑を繋ぎ合わせて復元しましたが、読み取りにくいことからその横に昭和24年、新碑が建立されました。了義院の句碑については!先に投稿した右のカテゴリーの中の「句碑・石碑を見つけよう!」又はこの赤字をクリックするとリンクできます。繋ぎ合わされたこの碑からも戦争の痕跡を見ることが出来ます。

了義院
1image1了義院 縮小
 片山神社、了義院、又西にある国道19号線にも坂は残る    寺に鳥居? 明治初めまであった神仏習合の名残
image1了義院2縮小 DSC00154縮小
 繋ぎ合わせた石碑。右肩に芭蕉の文字が見える   昭和24年に建立された新碑


★参考資料 ひがし見聞録・東区の歴史・芭蕉入門

戦争の痕跡を見る (No.4)

By , 2018年6月12日 10:41 AM

片山八幡神社の鳥居 徳川二丁目
片山八幡神社の創建は西暦527年に現在の地に鎮座したと云います。旧社名は「大曾根八幡社」と呼ばれその後戦国時代には荒廃し、元禄8年(1695)尾張二代藩主徳川光友により再興しました。この地は名古屋城の鬼門に当たり、鬼門除けの社として信仰されています。
昭和20年の戦災により境内の老樹、建造物の多くを焼失、昭和34年には本殿を造営、平成8年には大改修工事の後平成10年に完工し現在に至っています。境内鳥居の右には先の戦災での弾痕が見られます。戦争の記憶を思い起こす一つです。

image1片山八幡神社正面 縮小 image1片山八幡神社 弾痕
  鳥居奥は本殿   鳥居右の弾痕、中ほどの丸い穴

★参考資料 片山八幡神社縁起・ひがし見聞録

戦争の痕跡を見る (No.3)

By , 2018年5月30日 9:55 PM

赤塚神明社の楠正成像 徳川2丁目1
基幹バス通り赤塚交差点に「赤塚神明社」があります。その歴史は遥か遠く1616年古くからあった神明社を近郊一帯の総氏神として尊崇するようになったといいます。1851年には大曾根村の「山神社(やまじんじゃ)」が名古屋城鬼門鎮護の神として14代徳川義勝公の命によりここに移築されました。1867年(慶応3年)には尾張勤王の志士達により「湊川神社」が神明社に創建されました。昭和15年には皇紀2600年(神武天皇即位記念)を記念、湊川神社の祭神として楠木正成公の銅像が建立されました。楠木正成は兵庫県湊川の地で足利尊氏との「湊川の戦い」で知るところです。このように神明社の境内には他を合わせて七末社が祀れています。
No.2で紹介した圓明寺は戦時中の金属回収令により鐘を供出しましたが、幸いにも神明社の「楠木正成公」の銅像は供出を免れた数少ない一つかもしれません。今回も戦争の痕跡ではありませんが、「楠木正成公」の銅像を取り上げ戦争の悲惨さを思い起こしてみたいと思います。なおこの銅像は昨年化粧直しが行われたと氏子の方に伺いました。神明社は昭和25年の都市計画により、境内地が三分の二も削られその地は一部国道19号線となっています。
★参考資料 神明社由緒書 東区の歴史

DSC04531神明社鳥居縮小 IMG_1825神明社末者
神明社鳥居、7月30日には茅輪(ちのわ)、赤丸神事  境内七末社、一番左が「湊川神社」
IMG_1829楠木正成 IMG_1830紀元2600年記念
 「楠木正成公」銅像  銅像の背面に書かれた「紀元2600年記念」

戦争の痕跡を見る (No.2)

By , 2018年5月20日 8:54 PM

圓明寺の石の釣り鐘 泉3丁目2
圓明寺は旧鍋屋町に面して山門がありますが、戦前は前回紹介した養念寺の南の敷地と地続きでした。現在の圓明寺は伊勢長島松ヶ島より元和7年(1621)に現在地に移転、明治34年に山門、鐘楼、本堂、庫裏が建立されましたが、昭和20年3月の名古屋空襲で被災、山門、鐘楼のみが焼け残りました。この折昭和16年に発令された金属類回収令により翌年には圓明寺の銅製の釣り鐘も供出され、代わりに石で造られた鐘が吊るされました。戦争が終わり復興とともに石の鐘を降ろし、銅の鐘を吊るす計画が起こりましたが、当時の住職は石の鐘を吊るすことにこだわったといいます。「人間少し生活が良くなると見栄を張り、石の鐘を降ろそうとする。石の鐘にしたらたまったものではありません。」と云われたそうです。平成27年には山門の横に「戦争の記憶を後世に残すため」「平和を見守り続けるため」と説明された表札が建てられました。今回は戦争の痕跡ではありませんが、戦争の記憶を思い出す「石の釣り鐘」を取り上げてみました。

DSC00881石鐘 IMG_1819鐘楼
  写真の上でクリックすると文字が読めます   全国でも非常に珍しい石の鐘です

★参考資料 名古屋市史・圓明寺境内「石の鐘」説明文

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