Category: 昔を語る銘板

昔を語る銘板 (続2)

By , 2017年11月13日 7:51 PM

御畳奉行 朝日文左衛門重章(しげあき)屋敷跡 主税町四丁目
東区を1か月程歩かず、しばらく発信をお休みしてしまいました。今回も銘板を探して東区を歩きました。
朝日文左衛門を多くの方はあまりご存知ないかもしれません。主税町四丁目78「しゃぶしゃぶ太閤」と現在はオオカンサクラの並木道となっている道路上に御畳奉行であった朝日文左衛門の屋敷跡がありました。文左衛門の役職はお城の畳の傷み具合を調べるだけの閑職で元禄4年(1691)から没する享保2年(1717)までの26年間にわたり書き綴った日記「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)」全37巻を著わしたことで知られています。武士の生活や、町人の日常やうわさ話、又日本各地の情報、事件など元禄の人々の生活ぶりを丹念に記し、元禄の世相史としては貴重な資料となっています。この表札は平成25年「東区まちそだての会」「太閤本店」により設置されたと記されています。

今は道路
DSC03341朝日文左衛門、太閤
  文左衛門の屋敷は現在の道路上  「太閤」の敷地に銘板が設置。右の道路は主税町
DSC03342朝日文左衛門マップ  DSC03343朝日文左衛門説明文
 クリックすると地図が大きくなります  銘板の左に書かれている説明文、クリックして下さい

★参考資料 元禄御畳奉行の日記、ウキペディア

 

 

昔を語る銘板 (続1)

By , 2017年10月15日 2:17 PM

主税町(ちからまち)公園一帯
銘板シリーズは5回で終りとなりましたが、他の団体によっても同じような銘板が建てられています。名古屋市市政資料館から東へ、国道41号線(高架は都市高速)へ出る手前に主税町公園があります。銘板シリーズ「続」として去る10月4日にこの主税町公園に披露された「名古屋市輸出陶磁器ゆかりの地 主税町公園一帯」と題した銘板を紹介します。明治から昭和にかけ、東区付近は多くの陶磁器絵付け工場や貿易業者が軒を連ねていました。明治29年(1896)この主税町公園一帯(当時は橦木町、現主税町)は森村市左衛門が東京や京都の絵付け職人を集め陶磁器絵付け工場を集約した場所でした。江戸時代には武家屋敷があった広い土地と堀川を使った運送などの立地条件の良さから関連事業者650軒、約1万4千人の従事者がいました。その後美濃街道や瀬戸街道が交差する赤塚付近にも絵付け工場が多く出来、名古屋の輸出陶磁器産業の繁栄のきっかけとなりました。この銘板には名古屋都市センター「まちづくり活動助成」を受けていますと記されていました。

主税町公園
IMG_0931主税町銘板
 主税町公園南の敷地も「森村組絵付け工場」があった    主税町公園 北西に銘板はあります
IMG_0932銘板全体 IMG_0932切り抜き2
名古屋市輸出陶磁器ゆかりの地 主税町公園一帯  左部分を切り取り。クリックすると大きくなります。

★参考 銘板  森村市左衛門の生涯 ウキペディア

昔を語る銘板 (No.5)

By , 2017年10月4日 10:59 PM

矢田第二公園 矢田南四丁目
最後の銘板は平成29年1月に矢田南三菱電機名古屋製作所の東側、名城大学キャンパス近くに設置されました。銘板の左には昭和40年代の市電が走っていた頃の矢田南の風景を写した写真、右は大正12年三菱電機名古屋製作所の工場が出来る前、土地埋め立て工事に着手した頃の様子です。この辺りは水はけが悪く沼のようになっていたようです。大正末期以降から田園、工場地帯、戦後は小中学校が集まる文教地区、又団地と変貌を遂げた一帯となりました。平成28年4月には名城大学ナゴヤドーム前キャンバスに外国学部が開設され、イオンショッピングセンター、その東にはナゴヤドームなどが立ち並び、現在では発展の一途を遂げています。

矢田第二公園
DSC02805名城大学
   後ろの建物は名城大学
DSC02804矢田南銘板全体 DSC02806市電切り取り
 左は市電の走る様子、右は大正12年の沼地の様子
写真の上でクリックすると画像が大きくなります
 左の写真の切り取り、昭和47年に撮影
写真の上でクリックすると画像が大きくなります

★参考資料 中日新聞(平成29年2月3日掲載)

昔を語る銘板 (No.4)

By , 2017年9月18日 9:45 PM

徳川園 徳川町
徳川園黒門を入ったすぐ右手に銘板があり、「尾張徳川家大曾根邸/明治末期の風景」と題して明治末期の様子が伺える貴重な写真が掲載されています。徳川園は尾張二代藩主徳川光友が元禄8年(1695)に自らの隠居所大曾根屋敷を造営したことを起源としています。当時の敷地は13万坪、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたといわれています。明治23年(1890)尾張十八代当主義礼(よしあきら)が大曾根邸を新築し、明治33年(1900)には侯爵邸に相応しい規模に改築、尾張徳川家の本邸としました。昭和6年(1931)尾張十九代義親(よしちか)は大曾根邸の当時の敷地約9千坪と建物を名古屋市に寄贈、市は翌年「徳川園」として公開しましたが第二次世界大戦によりほとんどの建物や樹林を焼失しました。現在の黒門と脇長屋一帯は焼失を免れた貴重な建物です。
この銘板は東区役所と同時に平成27年3月に設置されました。

IMG_0809銘板全景 IMG_0812地図
 左通路を左に入ると徳川園の庭園   明治期と現在の徳川園の敷地の違いがわかる
この上でクリックすると拡大されます
IMG_0803銘板縮小 IMG_0807つるべ
  銘板右上の写真につるべ井戸が写っています
この上でクリックすると拡大されます
  焼失を免れ 現在も同じ位置にあるつるべ井戸

★参考資料 ひがし見聞録・徳川園パンフレット・銘板案内

 

昔を語る銘板 (No.3)

By , 2017年9月4日 3:16 PM

東区役所前 筒井一丁目
東区役所前の銘板は「明倫中学校と東区役所」と題して大正、昭和の風景を取り上げています。この一帯は慶安4年(1651)尾張二代藩主徳川光友が父義直公の菩提を弔うため建立した建中寺の境内で創建当時は約5万坪、周囲に石垣と溝(小さな堀)をめぐらす厳重な構えで壮大な三門、本堂を有するものでした。銘板の左手(西側)は区役所前を山口町へ南北に通じる道路で江戸期からある道路です。明治になってこの道路の西側に明倫中学校が新設されました。現在は愛知県立愛知商業高校となり、左上の写真の道路左側に見ることが出来ます。大正年間には建中寺の西側と南側には学校、警察署、消防署が出来、昭和に入ってもその様子を留めていました。

IMG_0533銘板全体 IMG_0534銘板アップ
銘板の左(西側)の道路は江戸期からある道路。
その左は県立愛知商業高校
 この銘板は東区役所駐輪場辺りにあります。
IMG_0556切り抜き明倫中学校 明倫中学校(昭和4年に新設された校舎の写真)
明倫中学校は尾張徳川家18代徳川義礼(よしあきら)により藩校明倫堂を継承し、明治33年(1900)私立明中学校が開設されました。昭和23年(1948)学校統合により、愛知県立高等女学校と合併して明和高校となり現在の東区白壁二丁目に移転しました。
昭和27年には愛知県立愛知商業高校が現在地に移転しました。
★写真の上でクリックすると説明文が読めます。
IMG_0536切り抜き 東区役所  

布池町にあった前東区役所
(大正15年~昭和45年)
東区役所は明治41年(1908)東区施行の折には西蓮寺(現東桜二丁目)に開設されました。
翌年布池町に庁舎を移転、大正15年には写真で見るようなモダンな庁舎が完成。昭和45年には現在地に新築移転しました。
★銘板の写真を切り取ったものです。クリックすると説明文が読めます。

昔を語る銘板 (No.2)

By , 2017年8月23日 8:55 PM

ヤマザキマザック美術館前 葵1丁目
二つ目の銘板は新栄にあるヤマザキマザック美術館南敷地内にあり、地下鉄東山線1番出口前で非常に分かりやすい位置に設置されています。No.1で紹介した同じ平成27年3月に設置されたことが記されています。江戸時代には尾張二代藩主徳川光友が1679年(延宝7年)に造営した別邸「御下屋敷(おしたやしき)」がこのヤマザキマザック美術館がある葵1丁目から北東にかけて6万4千坪の広大な敷地がありました。御下屋敷は光友の休息と饗応(きょうおう)の場として造営されましたが、代々の藩主によってそれぞれの時代と好みを反映した手が加えられています。明治になって屋敷一帯の建物が壊され水田の広がる一帯となりました。それでも明治末期には御下屋敷の南半分の葵町一帯は官地となり、周囲には民家や工場が立ち並びはじめていました。この銘板には明治末期の葵町の自然豊かな田園風景と「佐々養蜂園」と読める写真が掲載されています。説明には現在の新栄交差点から小川町付近を写したものと記されています。

DSC_2534新栄銘板 全景 DSC_2533名盤全体
IMG_養蜂園 IMG_0522御下屋敷地図
IMG_0521説明文 ★右中央「明治末期と現在の地図」は御下屋敷のあった位置がグリンで現されています。
★左の中央は銘板にある写真を切り取りしました
明治44年の葵町の風景です。
銘板の位置から西北西を見ると「佐々養蜂園」と水田が広がっています。
★左下は写真の説明文です。クリックすると文字が読めます。

★参考資料 ひがし見聞録、 文化財標識

昔を語る銘板 (No.1)

By , 2017年8月12日 9:17 PM

オアシス21 東桜一丁目
★新しいシリーズでご紹介する銘板は名古屋市の事業として地域の歴史や文化に触れる機会を提供しようと市内に設置したものです。東区内では2014年に初めて設置され、5カ所あります。順次紹介しますが前シリーズ「町並みの移り変わり」の元となる明治・大正・昭和からの変化を写真で偲ぶことが出来ます。

オアシス21、愛知芸術文化センター、NHK名古屋放送局、テレビ塔、栄バスターミナルなどがある一帯は進化した情報、文化、芸術の発信地となり、未来型立体都市公園となり市民の憩いの場所となっています。
江戸時代この一帯は名古屋城の南の外れで広い敷地を持つ武家屋敷が立ち並んでいました。明治の初めには屋敷跡に測候所、県庁、警察署、消防署、学校(県一高女)などの公共施設となり、昭和に入ってからも官公庁の立ち並ぶ一角でした。しかしながら第二次世界大戦によりすべて焦土と化してしまいました。戦後はその空き地に愛知県文化会館、栄公園が造成され、北にはNHK社屋、南には錦通り、西には久屋大通が造成され、テレビ塔も建ち昭和30年代には文化情報の発信地となりました、平成に入り建造物の建て替え、バスターミナル、オアシス21が建造され現在の栄一帯となっています。銘板では明治期の測候所、愛知県一高女、愛知県庁の写真と地図で移り変わりの様子が説明がされています。

 IMG_0506おあしす21銘板スマホ DSC03314オアシス21銘板
  後ろは愛知芸術文化センター   明治期の様子を現した写真と説明文のある銘板
 IMG_0500測候所切り抜き サイズ調整  IMG_0503県一高女切り抜きサイズ調整
  銘板から切り抜き
 明治23年建造された愛知県測候所
 現在のNHK名古屋放送センターの辺り
写真をクリックすると説明文が読めます
  銘板から切り抜き
 明治36年建造された愛知県立高等女学校
 現在の愛知芸術文化センター辺り
写真をクリックすると説明文が読めます

★参考資料 ひがし見聞録、中日新聞記事(2017年2月3日)

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