Category: 東寺町

東寺町を歩こう! 5西蓮寺(さいれんじ)

By , 2011年2月4日 10:14 PM

逞龍山 西蓮寺(浄土宗)東桜二丁目、旧松山町
 永禄年間(1558~1569)武田信玄の族縁といわれる甲斐の逞誉祖的(ていよそてき)によって開祖。慶長の初め「西蓮院」(信長の娘というが諸説あり)供養のため清須に創建、清須越によって現在地に移りました。信玄ゆかりの寺で武田菱を持つ寺です。
明治21年(1888)浄土宗愛知校(東海中学の前進)が本堂に開設され、又明治41年(1908)には東区役所設置にあたり、庁舎が設けられ翌年布池町に引っ越しました。
この寺は旧松山町の西側にあり東充寺の南(離れています)駿河道(飯田街道)に面して門があります。
 庭園は1300年前の中国の高祖「善導大師」の教えを説く「二河白道庭園」で有名ですが書院の奥にあり、公開されていません。

  今年1月2日の写真です。門松も見られます。        二河白道庭園(にがびゃくどうていえん)
   

★昨年11月14日から歩き始めた「東寺町を歩こう!」は約2ヵ月半に渡ってゆっくり歩きましたが今日で終りとなりました。
 東寺町には信長ゆかりの寺が何と多いことでしょう。それもそのはず信長が居城としていた清須から慶長遷府によりこの東寺町が出来たということに他なりません。法華寺、安斎院、梅屋寺、含笑寺などがゆかりの寺でしたね。

東寺町を歩こう! 4含笑寺(がんしょうじ)

By , 2011年1月30日 11:41 AM

鷲嶺山 含笑寺(曹洞宗)東桜二丁目、旧松山町
 享禄元年(1528)織田信秀(信長の父)が生母「含笑院」の菩提を弔うため清須の土田村(どたむら)に建立。清須越にて当地へ移りましたが、当時の寺域は約4000坪、先に紹介した1,安斎院、3,梅屋寺はこの含笑寺の末寺で梅屋寺の南に隣接して含笑寺は有りました。曹洞宗は松山町の東側に集められたようです。近年になって東西、南北に走る道路が出来これらの寺は離れ離れになってしまいましたが、その広さを想像して驚きです。
 山門は薬医門で清須城の城門と伝えられているものを移築。又寺名にふさわしい文化行事として昭和42年3月「含笑長屋・落語を聴く会」が結成され、平成4年には開創450年記念として「含笑長屋」が設立されました。

 右にある寺標は昭和62年含笑長屋20周年記念として
 建立されました。寄せ文字で書かれています。  
   この含笑長屋において東西の落語家を招いて年10回
   の例会が開かれています。

 

東寺町を歩こう! 3梅屋寺(ばいおくじ)

By , 2011年1月23日 7:38 PM

★ 東寺町からはずれてすっかり道草をしてしまいました。この厳寒のなか寒さに耐えて咲いている花や春の訪れを待って次の準備をしている植物を見つけ、目を奪われてしまいました。今度は又東寺町に戻ってかつて禅寺町を呼ばれた旧松山町を歩きましょう。

松竹山 梅屋寺(曹洞宗)東桜二丁目、旧松山町
 この梅屋寺は山号を松竹山と号し、松竹梅となるおめでたい名前の寺です。亨禄4年(1532)織田信長が伯母「梅屋慶香大姉」供養のため建立。清須越により現在の松山町の東側にあります。当時の寺域は1400余坪、1で紹介した安斎院と地続きでその南にありました。現在は880坪程で安斎院と梅屋寺の間には東西に走る道路になっています。本尊虚空菩薩像から十三詣りの寺として知られている。しかしこの寺もだんだんその行事も質素になり、三々五々お参りに訪れるようです。

(注)十三詣り
 生まれ年の干支が初めて巡ってくる数え年13歳の少年少女が元服を迎え大人になったことに感謝して、これから先の万物の福徳と英知を授かるために虚空菩薩に参詣する行事(wikipediaより)

東寺町を歩こう!2東充寺(とうじゅうじ)

By , 2011年1月11日 9:40 PM

仏法山 東充寺(西山浄土宗) 東桜二丁目、旧松山町
 この旧松山町には曹洞宗の寺と浄土宗の寺が混同しています。1で紹介した安斎院の道を隔てた西側には東充寺があります。清須越の寺で「へちま薬師」とか「お薬師さん」などと呼ばれ親しまれています。疝気(せんき、腹の病気)、疝癪(せんしゃく)子供のカンの虫などの諸病があるとき、7,8寸のへちまで患部をなでて、そのへちまを寺へ持参して加持祈祷してもらう。祈願成就、病気全快の時は大きなへちまをお供えするするという。以前は門前にへちまを売る店屋もありました。薬師堂は嘉永7年(1854)の建立です。

手水舎のまわりには奉納されたへちまがあふれています   大相撲の元大関、小錦(ハワイ出身)は足の故障で悩んで
  いた時 へちま薬師に祈願に訪れ回復したという。奉納され
  た絵馬がこの写真の左手に見られます。
          
  

東寺町を歩こう!松山町シリーズ1安斎院(あんさいいん)

By , 2011年1月6日 9:54 PM

昨年に続き今年も東寺町を歩いてみましょう。日蓮宗ばかりを集めた法華寺町の西の筋は曹洞宗と浄土宗が集まる松山町です。今回も桜通り寄りの北から南の錦通りに向かって歩きます。
曹源山 安斎院(曹洞宗) 東桜二丁目、旧松山町
安斎院の開基建立は正確には解らないようで、織田信長が尾張を統治するときにはすでに清須市西市場にあったということです。後に織田信長の側室、吉乃の母の菩提所となりました。清須越(1610)の際に今の地に移転しました。現在の寺域は六百坪ほどになりましたが当時は倍の千二百坪もあったということでその広さに驚きます。道路、公園、マンションとなり時代の移り変わりを感じます。

東寺町を歩こう! 7法華寺(ほっけじ)、8真柳寺(しんりゅうじ)

By , 2010年12月28日 8:39 PM

啓蓮山 法華寺(日蓮宗) 東桜二丁目、旧小川町
 延徳2年(1490)織田常勝が織田一門の祈願所として清須に建立。慶長14年の清須越で現在地に移ってからは尾張藩の庇護を受け、日蓮宗の名古屋筆頭として寺格は高く、檀家も上級武士に限られていたという。

  修理中の山門を通りぬけると本堂があります。  
  小川町を桜通り辺りから南へ歩きましたがこの法華寺は
  錦通りと小川町の交わる角にあります。
  
   左写真の本堂の左手には水屋があります。本堂は嘉永
   6年火災で焼失しましたが、この水屋は18世紀前半の
   建立といわれています。
   
   

恵眼山 真柳寺(日蓮宗)東桜二丁目、旧小川町

7で案内した法華寺の末寺で慶長年中(1596~1615)の建立。本堂は嘉永6年の火災で類焼し、その後再建された。
法華寺の東向かいにあって法華寺と同時に火災にあったようです。

★小川町を桜通り辺りから錦通りへと南に歩きましたが、この小川町には全ての日蓮宗が集められ法華寺町とも呼ばれていました。現在では所々にこれらの寺を見るのみですが清須越の折、又江戸時代後期の古地図からも解るようにこれらの寺は隣接していました。いかに広大な寺域であったかと当時を想像するのも 面白いものです。
 いよいよ年末となりました。「東区を歩こう!」では来年も引き続きこのようなシリーズでご案内したいと思います。来年は東寺町の続きとして「松山町」を歩きたいと思います。このブログを読んで下さった方にお礼を申し上げますと共に来年もつたない案内ですが引き続きよろしくお願いします。
良いお年をお迎え下さい。

    

東寺町を歩こう! 6浄蓮寺(じょうれんじ)

By , 2010年12月25日 3:02 PM

超立山 浄蓮寺(日蓮宗) 東桜二丁目、旧小川町
 この寺も清須にあり、天正18年(1590)元は妙源寺として建立された。その後清須越にて現在地に移った。当時の敷地は1650余坪もあり、江戸末期「名古屋城下図」を見ると道をはさみその東にある東生涯学習センターとは地続きとなっています。当時の寺域の広大さに驚くばかりです。

     山門は旧小川町ではなく桜通り小川町交差点から南を
  走る、広い道路に面している。
    旧小川町にある裏門です。いつもはこの門は閉まって
    いますが、めずらしく中を見ることが出来ました。
    右に見える大きなビルも寺の敷地であったのでしょう。
  東側山門の北にはレストランが建ち並んでいます。
  とんかつ、フランス料理、寿司屋など。
  どの店も個性があって美味しいですよ。
   東側山門で見つけました。屋根をつるがはっています。
   からすうりでしょうか?間違っていたら教えて下さいね。
   草木にからみついて成長するそうで、確かに大木にから
   んでいます。都会で見るのは珍しいです。

東寺町を歩こう! 5本要寺(ほんようじ)

By , 2010年12月23日 8:13 PM

常英山 本要寺(日蓮宗) 東桜二丁目、旧小川町
 開祖は室町時代、明応4年(1495)で清須にあった。後の清須越で現在地に移った。「名古屋市史」によると当時は1,746坪あったということで、なるほど古地図を見ると寺と寺が隣接していたことがうなづける。

  どこの寺でも見られるように、広い敷地は貸駐車場
  となっている。この寺の迎えには和食処があり、お客様用
  に貸されている。       
   この本要寺の北隣は石屋さんです。昭和初めの開業
   だそうで、寺の門前にはこうした石屋さんが多く見られた
   のでしょう。写真右は本要寺山門。

東寺町を歩こう! 4照遠寺(しょうおんじ)

By , 2010年12月10日 7:34 PM

妙長山 照遠寺(日蓮宗)東桜二丁目、旧小川町
 もと中島郡大津村にあり、その後須に移り、その後清須越によって現在地に移った。嘉永6年(1853)の火災で本堂、堂宇を焼失したがその後再建された。楼門は棟札により享保15年(1730)の建立であることが知られる。この寺も江戸末期の「名古屋城下図」によると3で紹介した「法輪寺」と寺域は隣接しています。当時の敷地の広さが想像されます。

   御堂の左右に四天王が収められている。    明治以降寺院門前に建てられた町屋の一部が空襲を
   まぬがれ、古いたたずまいをわずかに残している。
   今は和食、フランス料理のレストランに利用されています。

東寺町を歩こう! 3法輪寺

By , 2010年11月26日 8:10 PM

 一乗山 法輪寺(日蓮宗)東桜二丁目、旧小川町
清須より、元和6年(1615)現在地へ移る。延宝7年(1679)今の寺号に改めた。嘉永5年(1852)本堂より出火し、門などを残して焼失し、その後再建された。一間薬医門である。この寺も江戸末期に書かれた「名古屋城下図」をみると2で紹介した「大法寺」と地続きで南隣にあった。

  かつて寺院門前にあった石屋町並みも墓地移転により
  東寺町には2軒のみとなりました。ここには元治元年
    (1864)創業の看板を見ることができます。
  
  
   法輪寺の北東角には「東区を歩こう!」で最初に紹介
   した寺町碑があります。

 

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