Category: 町並み保存地区

町並みの移り変わり(続5)

By , 2020年6月16日 11:37 AM

泉二丁目5にある大光寺の山門が建て替え工事中です。大光寺は日蓮宗の寺で元は群馬県伊勢崎にあり、慶長の初め群馬県現前橋市へ移転しました。この寺は平岩親吉(ちかよし)と共にあり、親吉の国替えで清須へ移築、慶長15年の清須越で現在地へ移りました。山門は清須城の裏門を移築したものでした。戦災で本堂、山門、庫裏を焼失。その後本堂が昭和40年、山門が昭和57年に落成されました。山門は日蓮聖人入滅700年記念で再建されたのですが、老朽化により再度の建て替えとなりました、6月初めから7月末の予定で新しい山門が蘇ります。

image1 IMG_5500.jpg縮小
   旧山門    建て替え中の山門

★参考資料 ひがし見聞録、住職様の聞き取り
★参考 平岩親吉
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。元は群馬県前橋藩。家康側近の一人で尾張藩主義直の付け家老として尾張に移り藩政を執行した。犬山城主でもあった。

町並みの移り変わり(続4)

By , 2020年4月13日 1:39 PM

2月頃から始まった新型コロナウィルスの感染は広がるばかり、とうとう国は感染者の大きさに応じて緊急事態宣言を発令、愛知県は県知事による緊急事態宣言で不要不急の外出は自粛となりました。「東区を歩こう!」も町並みの散策をしばらく止めこのブログもしばらくお休みにします。3月22日に撮影した写真ですが、橦木町界隈もあちこちで解体工事が行われており、又町並みが変わるのでしょう。
「文化のみち二葉館」東隣り 橦木町三丁目24

IMG_5336.jpg縮小この辺りはかつて「壬申の乱」が東区山口町(名古
屋山東出口、山口)においても激戦が行われたこと
が「尾張名陽図会」に描かれている。
橦木町3丁目、二葉館東隣は旧武家屋敷で幕末の当主
河原南山の屋敷の中に「おとも塚」と云われる塚、土
饅頭(どまんじゅう)が現存していました。
この塚は大友皇子軍の戦死した将兵の塚であったと伝え
られています。残念ながらこの塚も取り払われ歴史を
伝えるものが又、なくなってしまいました。

★壬申の乱 大火の改新の後、672年大海人皇子と大友皇子の戦い。主戦場は近江の国であったが戦いは美濃から尾張、名古屋山東出口にまでに及んだと云います。(参考資料 東区の歴史)

橦木町アパート 橦木町3丁目59

IMG_5337縮小ここは二葉館より東、最初の角の南にあります。
かつて銀行の社宅であったと記憶しています。数年前から
空き家で、現在は解体され更地となっています。広大な敷地にはおそらくマンションが建設されるでしょう。山吹学区にあり、ここに新しい住民が移り住んで学区の人口は増加傾向となります。山吹小学校も生徒数が増えつつあります。こうして町並みが移り変わるのでしょう。

 

 

町並みの移り変わり 続3

By , 2020年3月24日 10:57 AM

旧料亭樟(くすのき)白壁4丁目 92
国道41号線(名古屋市高速)から東に延びた東西の道は白壁4丁目となっています。名古屋市高速から2軒目南側に「旧料亭樟」があります。門と塀は大正初期造られたもので、黒い板塀と塀越しに見られる木々の緑がこの町にしっとりと調和して町の景観を造っています。平成5年10月には都市景観重要建築物に指定され、平成9年まで料亭として使用されてきました。しかしながら、外観は保たれているのですが、いつの間にか母屋が壊され奥を覗くと更地になっていました。黒い板塀の足元には通りに面して駒寄せも残され、昔の景観を残しています。出来る事ならこの景観だけは残されることを望みます。

IMG_5330.jpg縮小 IMG_5328.jpg縮小
 門と塀は残されている  奥を覗くと何もない

 

町並みの移り変わり 続2

By , 2020年3月5日 6:15 PM

白壁四丁目の変貌
「町並みの移り変わり続1」でアップした白壁四丁目の空き地から西へ100m程行くと「料亭加茂免」があります。その西隣の住宅が又取り壊されました。白壁四丁目の一帯はどこも大きな敷地であるため、更地になるとその広さに驚くばかりです。時代の流れを今まさに目にして変わっていく町並みを見つめるより他ありません。立派なお屋敷が続く町並みはやがて高級マンションの建ち並ぶ町並みになるのでしょうか。

IMG_5238.jpg加茂免 IMG_5239.jpgグランドメゾン白壁
 左の白い塀は「料亭加茂免」樹木もなくなります。  後ろはマンション「グランドメゾン白壁」

町並みの移り変わり 続1

By , 2020年2月12日 11:46 AM

  白壁町四丁目の変貌
最近町並み保存地区にあちこち空き地が目立つようになりました。長く続く塀と樹木、その奥にはゆったりとした日本家屋が町並みの景観を保っていました。しかしながら最近白壁四丁目、料亭「加茂免」を少し東へ行くと北側と向えの南側2カ所の住宅が取り壊され、広い空き地となっています。この辺りの住宅の敷地面積は300坪から600坪と非常に広く、それが取り壊されると驚くほどの敷地を見ることになります。南の敷地には6階建ての分譲共同住宅が建設されるようです。そこにある立て看板には2020年3月初旬に工事が着手されることが記されています。
この辺りでは広く立派なお屋敷が取り壊されるとほとんどがマンションとなるようです。時代の流れで町並みはどんどん変わり、それは止められません。しかし嬉しいこともあります。それはマンションに住む若い家族が増え、住民も多くなり町の若返りに繋がっていくのです。
数年前の町並みの様子を写した写真と比べてみてください

image0.jpeg白壁町空き地.jpg縮小 CIMG8880.jpg白壁町、近藤邸縮小
  東から西を見る、空き地となった現在
左奥は料亭「加茂免」が少し見える。
    左と同じアングルで撮った写真
左奥の白壁は料亭「加茂免」
この黒塀の住宅が取り壊された。今は無い!
IMG_5129.jpgアーカンジェルと近藤邸 CIMG8816.jpg近藤邸縮小
 西から東を見る。
左手前は迎賓館「アーカンジェル」
その奥はオレンジシートに覆われた空き地。
北と南に空き地。左奥は金城高校
   左の写真との対比を見て下さい
黒い塀とその奥にある木々はない
左の写真のオレンジ囲いが家のあった所

 

町並みの移り変わり(No.9)

By , 2017年7月30日 5:23 PM

東寺町界隈の移り変わり  東桜2丁目
慶長15年(1610)頃から名古屋城築城と共に清須より名古屋に城の防衛上多くの寺院が移され、東区では旧松山町に曹洞宗の寺が配置されたことから禅寺町、その東側は日蓮宗の寺を配置、法華寺町(ほっけてらまち)と称し飯田街道の守りとしました。東桜周辺には40ケ寺が配置されました。詳しくはこのブログの中で発信した「東寺町を歩こう!」をご覧ください。
この一帯は昭和20年の戦災で多くの寺を焼失、又戦災復興による墓地の移転、道路の拡張などで姿を変えつつも一部、江戸期の山門を残している寺もあります。最近は広い敷地の一部がビル、貸駐車場となり再び町並みが変わっていくようです。No.8で紹介した「貞祖院」の隣接地にもマンションが建築中と東区の町並みの移り変わりは止められません。ここでは清須越によって法華寺町に移転し、その後昭和30年代に建てかえられた日蓮宗の寺を三ヶ所取り上げました。山門を取り壊して駐車場とした寺、山門だけは残して境内を駐車場と鉄筋の本堂と変えた寺、歴史は常に動いているのでしょう。

CIMG0219真柳寺縮小 DSC03295本要寺駐車場縮小
錦通り北と法華寺町に面した真柳寺(日蓮宗)山門 山門が取り壊され、車が入っている。右に塀の名残を見る
CIMG0217法華寺山門工事中 DSC03298法華寺縮小
真柳寺の向えにある法華寺、駐車場造営のための工事中  駐車場となった敷地、同じ右に標識がある
DSC03300本要寺山門縮小 DSC03301本要寺山門内縮小内
寺の重みを感じる山門が残されている本要寺 山門の奥に造られた駐車場、左に鉄筋の本堂が見える

★参考 「ひがし見聞録 東区の歴史

町並みの移り変わり (No.8)

By , 2017年7月15日 9:13 PM

貞祖院南の空き地 泉三丁目
貞祖院は徳川家康の四男、松平忠吉の位牌所として建立され17世紀中頃までに清須越により現在地に移転した浄土宗の寺です。現存する本堂は明治5年に建中寺にあった霊廟の一つを譲り受けたものです。昭和20年の空襲にもこの一帯のほんの一部だけが焼け残り、今では本堂のみが当時の姿を残しています。戦後本堂南にあった墓地も都市計画により昭和32年までに東部丘陵地へ移転が完了、南の道路も拡幅されました。この本堂南には木造の家々が立ち並びましたがその後しばらく空き地、駐車場へと変わっていきました。その度毎に境内も狭くなり、昭和38年からは本堂奥の西にも道路が出来、オオカンサクラの植栽もされ、今日では市内でいち早く咲く桜の並木道として知られています。住所表示もかつては舎人町、今では泉三丁目となりました。
戦災で焼け残った一帯はこうして変わっていくばかりです。昨年からは広い駐車場もマンション工事が始まりNo.7で紹介した記事と同様、東区のこの辺りは広い土地があればマンション化となるのが常のようです。ここには地上15階のマンションが来年4月完成ということで又もやマンション化する町となるようです。

貞祖院
DSC05291本堂
    山門を入り奥にある本堂、東向きにある
DSC03289マンション建設 image1貞祖院南道路
  中央は山門、その右が本堂   南の道路から北へ、塀の終わりが貞祖院

★参考資料 ひがし見聞録  東区の歴史  都市計画地図 住宅地図

 

町並みの移り変わり (N0.7)

By , 2017年7月4日 8:51 PM

 「薬石碑」 平田町(へいでんちょう)交差点西  相生町33
平田町交差点の南北の道は国道19号線、片側4車線の広い道路です。そのすぐ西に並行して北へ行く道は現在の相生町、かつては善光寺街道の一部でした。今では旧街道の名残を残す貴重な道路です。外堀通り線を北の相生町すぐの敷地内に「薬石碑」がありました。明治の頃より名鉄小牧駅前の街道筋に薬の宣伝用として建てられていたそうです。三重県の薬業者「あかなべ」から薬を取り寄せ、小牧駅前で薬問屋を営んでいました。今でいう宣伝用の看板が街道筋にあったわけです。ここで働いていた方が名古屋に移って来た時この石碑を譲り受け昭和44年現在の敷地に移転、片隅に建てられました。
昨年この辺りの民家が空き家となっていたのでマンションが建設されることになりました。地上18階の高層ビルが4棟も建設されるようで完成は2年後です。「薬石碑」も昨年末取り払われ、しばらく西の駐車場に寝かされていました。建設が進んだ現在駐車場もマンションの敷地となり今や石碑の所在も分かりません。旧街道にあった「薬石碑」も見ることは叶わなくなりました。

旧善光寺街道
DSC03291工事現場縮小
 旧善光寺街道  マンション建設中のフェンス右に「薬石碑」があった
DSC03041あかなべはらくすり縮小 DSC02544井藤半助
東面に  かつてこのように設置されていた   駐車場に寝かされていた時。 下の方に「伊藤半助製」と読める

速報 町並みの移り変わり (No.6)

By , 2017年6月26日 10:35 PM

旧豊田利三郎邸跡
5月3日No.1で旧豊田利三郎邸跡をご紹介しました。今日偶然、旧利三郎邸前を通ったら工事中ですでに芝生が貼られた広い敷地の周囲にわずかの植栽が施されていました。今まであった東の塀は取り壊され、新しい塀が設置されるようです。現在取り壊された塀から内部をしっかり見ることが出来るチャンスのようです。白壁町に面した西の入口(現在は工事車両の出入り口)にも塀が設けられ、やはり中を見ることが出来ないと工事責任者から伺いました。マンション前にあった石碑は昭和60年マンションが出来た折記念に設置されましたが、北東隅に追いやられたようです。今しかこの光景は見られないと速報としました。ご興味のある方は東の塀が設置される前に是非お出かけ下さい。それにしても白壁町の町並みはマンションがなくなりすっきりしましたが、折角の広い芝生広場を通られた多くの方に見て頂いても良いのではないかと思います。

IMG_0368利三郎邸工事、芝生 IMG_0376芝生広場
 西から見た内部、芝生が貼られている   1000坪程ある敷地全面に芝生が貼られた
IMG_0372東側面 IMG_0374石碑
 東から見た薬医門、この東面に塀が設置される   植栽の隙間から見える石碑、ここに塀が設置される

町並みの移り変わり(No.5)

By , 2017年6月11日 10:45 AM

国家公務員合同宿舎 橦木住宅
名古屋市市政資料館を東へ100m程行くと主税町公園があります。東区のこの辺りは明治から昭和にかけて多くの絵付け工場や陶磁器輸出業者が軒を連ねていました。主税町公園一帯は明治期には森村組絵付け工場があった跡地です。森村組は創始者である森村市左衛門が明治9年に創業した現在の森村グループ(ノリタケカンパニーリミテッド、TOTO、日本ガイシ、日本特殊陶業、大蔵陶園、森村商事)で明治29年頃には現主税町公園の南の敷地(国家公務員合同宿舎)も合わせて3,660坪の絵付け工場がありました。明治37年には西区鷹馬村則武に日本陶器を設立、工場も移転しました。
大正、昭和になり跡地は少しづつ民家となり、主税町公園は昭和45年に現在のような公園となりました。南の敷地(橦木町1丁目)には国家公務員合同宿舎、橦木住宅が出来ました。1230坪の敷地は昨年2月には一般競争入札売却の掲示がありましたが、今年になり数棟あった宿舎が取り壊され更地となりました。今度はフェンスにマンションの広告が出され又、町並みが変わるようです。江戸時代は武家屋敷、明治、大正は絵付け工場、昭和には民家、平成にはマンションとこの一帯は移り変わりました。やはり歴史は動いているのでしょう。
★参考資料 ノリタケグループ資料、森村市左衛門

主税町公園
DSC03047売地橦木町2
DSC02986公務員宿舎 DSC02982主税町公園から宿舎跡地
 南の橦木町から見た国家公務員宿舎跡地 北の主税町公園から更地となった公務員宿舎を上から見る

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