Category: 町並みの移り変わり

町並みの移り変わり (続13)

By , 2021年2月10日 3:44 PM

名古屋東税務署の新庁舎 主税町3-18
名古屋東税務署は平成30年5月から旧庁舎替えの為泉1丁目に移転中です。令和3年1月には旧所在地に新庁舎が完成、敷地面積千坪余に地上5階地下1階の建物とゆったりした駐車場も併設されました。
この地区は名古屋市の景観形成地区に指定され西の国道41号線角には「主税町教会」向えには陶磁器輸出商「旧春田鉄次郎邸」豊田佐吉の弟である「旧豊田佐助邸」など大正時代に建てられた建物が点在している町並み保存地区です。
周囲の景観に溶け込むイメージを期待していたのですが、白いビルは町並みに目立つ存在になってしまいました。緑区にある「税務大学校名古屋研修所」も併設され、未だ業務も行われていないようで閑散としています。確定申告時期になると静かな町並みも一変して人通りが多くなりますが、令和2年度の申告は旧庁舎のようです。
2020年7月31日発信の(続7)には工事の経過を発信しています。右のカテゴリー、町並みの移り変わりから)

IMG_6271.jpg全景縮小 IMG_6256.jpg縮小
 後ろは名古屋都市高速、国道41号線が平行   税務大学校名古屋研修所の案内看板

 

町並みの移り変わり (続12)

By , 2021年1月28日 8:16 PM

薬石碑 平田町(へいでんちょう)交差点西

国道19号線、平田町(へいでんちょう)西の南北の道は現在相生町ですが、江戸時代は善光寺街道と呼ばれ、大曾根口を通り中山道大井宿に通ずる道でした。この相生町33には「薬石碑」が建てられていました。
以下は、右の記事の分類から「町並みの移り変わり」No.7/2017.7.4に投稿した内容の一部ですが、2017年にはマンション建設のため取り払われ、西の駐車場に寝かされている記事です。ところが2019年マンション完成後あの石碑が以前あった西の道路から迎えの民家の駐車場の一角に再建されて驚きました。南に「あかなべはらぐすり」と良く読めるものです。「あかなべ」というのは三重県の薬業者の屋号といいます。

外堀通り線を北の相生町すぐの敷地内に「薬石碑」がありました。明治の頃より名鉄小牧駅前の街道筋に薬の宣伝用として建てられていたそうです。三重県の薬業者「あかなべ」から薬を取り寄せ、小牧駅前で薬問屋を営んでいました。今でいう宣伝用の看板が街道筋にあったわけです。ここで働いていた人が名古屋に移って来た時この石碑を譲り受け昭和44年自分の敷地に石碑を移転、片隅に建てられました。
2017年、ここにマンションが建設されることになり「薬石碑」も昨年末取り払われ、しばらく西の駐車場に寝かされていました。建設が進んだ現在駐車場もマンションの敷地となり今や石碑の所在も分かりません。旧街道にあった「薬石碑」も見ることは叶わなくなりました。

IMG_6180.jpgあべのはらぐすり  今はマンション北の立体駐車場になった空き地に寝かされていた石碑。
この面は「いせ四日市 伊藤半助製」と読める。
DSC02544井藤半助


★参考 東区の歴史
 

町並みの移り変わり(続11)

By , 2020年12月27日 8:58 PM

禅隆寺の山門改築その後

今年も後わずかで新年を迎えます。町並みの移り変わりも古い家が取り壊されマンション化、老朽化した寺の山門の改修など変わる町並みの様子をお伝えしていますが改築中の様子も見て行きたいと思います。
飯田町バス停前の禅隆寺は毎年紅葉が美しく紅葉狩りの人々や写真愛好家が集いシャッターを切る姿がありました。今年は残念ながら2月頃から始まった山門と塀の改築のため、訪れることは出来ませんでした。清須から移築した山門は400年の年月でとうとう新しく建立されることになりましたが後世に残るものとなるでしょう。完成は年末の予定だったそうですが、やはり宮大工さんの手作業ではなかなか進まないそうです。それでも葵の紋の瓦、懸魚、「興」と読める鬼瓦等を見ることが出来ます。3月のお彼岸には完成?などとお庫裏様からお聞きしました。(続6もご覧ください)

禅隆寺 IMG_6120.jpg禅隆寺山門 側面
 少し全体が見えてきました。軒瓦には葵の紋 鬼瓦「興」の文字は宗興山の山号からかな?



町並みの移り変わり (続10)

By , 2020年11月3日 4:24 PM

主税町の私邸
東区の町並み保存地区は通るたび、様子が変わり旧宅が取り壊されています。江戸時代は武家屋敷、大正から昭和の初めにかけては企業家たちの邸宅が建ち並ぶ一帯でした。一番に感じるのは何処の家々もその敷地の広さです。幸い昭和20年の戦災も逃れその時代に建てられた邸宅も残っています。橦木町の「文化のみち橦木館」主税町の「豊田佐助邸」などはその一部で、現在はその家の方々が住むのではなく一般に公開されています。私邸もまだ残されてはいますが8月末黒塀に囲まれたある邸宅が取り壊され始め、内部の家の様子が見ることができました。洋館と和館が併置され、黒塀の黒門を通り抜け又小さな門をくぐると和館の横に玄関がしつらえてあるようでした。全く「橦木館」を同じ造りであることを感じ昭和の初めに建てられたのかと想像が出来ます。えっ、又マンションかと思いきや、HR私邸の工事標札を見て安堵しました。どんな邸宅に生まれ変わるのか、時代の流れを受け止めています。

IMG_5799.jpg堀内邸黒塀 IMG_5811.jpg黒門
黒塀に囲まれた私邸 この黒門の中の家はどんな家?といつも思っていた
IMG_5815.jpg洋館と和館 IMG_5804.jpg内玄関
洋館と和館が併設されていた 上の写真黒塀の奥の通り庭
IMG_5955.jpgHR邸新築工事 IMG_6014.jpg新築工事、蔵
綺麗に整地されその広さは凄い! 白い工事囲いの奥の蔵とその隣の建物は残された


 

 

町並みの移り変わり(続9)

By , 2020年9月9日 2:25 PM

大光寺の山門
大光寺山門が建て替え中の記事はこのブログで6月16日にアップしました。予定より少し遅れ8月半ば頃に完成しました。屋根の軒瓦と鬼瓦にあたる部分には輪宝紋という紋瓦が使われました。車輪に槍が6個又は8個あり輪宝は法輪とも言われ、インドの伝説上の転輪聖王(てんりんじょうおう)が開いたと伝わりこの輪宝を転がして悪を砕いたという説をお釈迦様が継承され、仏教のシンボルとなって広まっていきました。輪宝紋は日本にも仏教伝来とともに伝来し、日本で最も古いものは薬師寺に釈迦の足跡を石に刻んだ「仏足石」がありそこに輪宝紋が刻まれています。仏像を祀ることがなかった時代、信仰の対象としたもので側面の銘文には753年と刻まれています。大光寺の山門は多くの寺にあるように雨樋を使わず昔の形式を取り入れたということです。 昭和40年本堂が建て替えられ、インドのバゴダ(仏塔)風様式で建てられた本堂入口にもこの輪宝紋が金色で飾られています。

IMG_5823.jpg軒瓦 IMG_5802.jpg鬼瓦 輪宝紋
  山門の軒瓦の輪宝紋 雨どいは無い   6個の槍が付いた輪宝紋
IMG_5820.jpgサイズ、カラー補正 IMG_5803.jpg本堂輪宝紋
  本堂全景  入口の上に輪宝紋がある    本堂入口にの輪宝紋 ここは8個の槍

 ★参考 大光寺住職様のお話し、インターネット  

町並みの移り変わり(続8)

By , 2020年8月28日 9:28 PM

禅隆寺山門改修 その後
禅隆寺の山門がとうとう取り壊されてしまいました。清須から移築した山門は第二次世界大戦の空襲も逃れ、築400年以上も耐えてきましたが老朽化により建て替えられることは7月15日の記事でアップしましたが、その山門が無くなってしまいました。あの立派な山門から覗く秋の紅葉は名古屋市内で見られる紅葉の名所で見事でしたが、今年だけは我慢です。年内には立派な山門が完成また新しい年を刻むことでしょう。

IMG_5758.jpg禅隆寺 縮小 IMG_5764.jpg 三門内部から
パイプが置かれた台は山門のあったところ  内部から元あった山門を見るが、無い無い!

 

町並みの移り変わり(続7)

By , 2020年7月31日 3:02 PM

名古屋東税務署 主税町3丁目
国道41号線、名古屋都市高速を東へ渡ると主税町3丁目になります。この道の南には東税務署があります。平成30年5月新庁舎に建て替えられることにより移転。現在は泉1丁目17が仮庁舎になっています。静かな住宅地にありながら3月の確定申告前後は申告者が詰めかけ、いつもと違った町の様子になります。ここに「税務大学」も新設されるようで令和3年3月には新庁舎が完成するようです。旧税務署は昭和33年の建築、当時としては鉄筋コンクリートの目立つ建物でした。近くには料亭「香楽」、実業家「旧豊田佐助邸」「旧春田鉄次郎」などの大正時代に建てられた建物が残り、新しい東税務署とどのよう町並みが融和していくのでしょう。時代とともに変わる町並みを見守っていきたいです。

IMG_5642.jpg東税務署 縮小 IMG_5640.jpg縮小
  中央に名古屋都市高速道路  東税務署、税務大学校名古屋研修所、完成図

町並みの移り変わり(続5)

By , 2020年6月16日 11:37 AM

泉二丁目5にある大光寺の山門が建て替え工事中です。大光寺は日蓮宗の寺で元は群馬県伊勢崎にあり、慶長の初め群馬県現前橋市へ移転しました。この寺は平岩親吉(ちかよし)と共にあり、親吉の国替えで清須へ移築、慶長15年の清須越で現在地へ移りました。山門は清須城の裏門を移築したものでした。戦災で本堂、山門、庫裏を焼失。その後本堂が昭和40年、山門が昭和57年に落成されました。山門は日蓮聖人入滅700年記念で再建されたのですが、老朽化により再度の建て替えとなりました、6月初めから7月末の予定で新しい山門が蘇ります。

image1 IMG_5500.jpg縮小
   旧山門    建て替え中の山門

★参考資料 ひがし見聞録、住職様の聞き取り
★参考 平岩親吉
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。元は群馬県前橋藩。家康側近の一人で尾張藩主義直の付け家老として尾張に移り藩政を執行した。犬山城主でもあった。

町並みの移り変わり(続4)

By , 2020年4月13日 1:39 PM

2月頃から始まった新型コロナウィルスの感染は広がるばかり、とうとう国は感染者の大きさに応じて緊急事態宣言を発令、愛知県は県知事による緊急事態宣言で不要不急の外出は自粛となりました。「東区を歩こう!」も町並みの散策をしばらく止めこのブログもしばらくお休みにします。3月22日に撮影した写真ですが、橦木町界隈もあちこちで解体工事が行われており、又町並みが変わるのでしょう。
「文化のみち二葉館」東隣り 橦木町三丁目24

IMG_5336.jpg縮小この辺りはかつて「壬申の乱」が東区山口町(名古
屋山東出口、山口)においても激戦が行われたこと
が「尾張名陽図会」に描かれている。
橦木町3丁目、二葉館東隣は旧武家屋敷で幕末の当主
河原南山の屋敷の中に「おとも塚」と云われる塚、土
饅頭(どまんじゅう)が現存していました。
この塚は大友皇子軍の戦死した将兵の塚であったと伝え
られています。残念ながらこの塚も取り払われ歴史を
伝えるものが又、なくなってしまいました。

★壬申の乱 大火の改新の後、672年大海人皇子と大友皇子の戦い。主戦場は近江の国であったが戦いは美濃から尾張、名古屋山東出口にまでに及んだと云います。(参考資料 東区の歴史)

橦木町アパート 橦木町3丁目59

IMG_5337縮小ここは二葉館より東、最初の角の南にあります。
かつて銀行の社宅であったと記憶しています。数年前から
空き家で、現在は解体され更地となっています。広大な敷地にはおそらくマンションが建設されるでしょう。山吹学区にあり、ここに新しい住民が移り住んで学区の人口は増加傾向となります。山吹小学校も生徒数が増えつつあります。こうして町並みが移り変わるのでしょう。

 

 

町並みの移り変わり 続2

By , 2020年3月5日 6:15 PM

白壁四丁目の変貌
「町並みの移り変わり続1」でアップした白壁四丁目の空き地から西へ100m程行くと「料亭加茂免」があります。その西隣の住宅が又取り壊されました。白壁四丁目の一帯はどこも大きな敷地であるため、更地になるとその広さに驚くばかりです。時代の流れを今まさに目にして変わっていく町並みを見つめるより他ありません。立派なお屋敷が続く町並みはやがて高級マンションの建ち並ぶ町並みになるのでしょうか。

IMG_5238.jpg加茂免 IMG_5239.jpgグランドメゾン白壁
 左の白い塀は「料亭加茂免」樹木もなくなります。  後ろはマンション「グランドメゾン白壁」

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