Category: 町並みの移り変わり

町並みの移り変わり(No.9)

By , 2017年7月30日 5:23 PM

東寺町界隈の移り変わり  東桜2丁目
慶長15年(1610)頃から名古屋城築城と共に清須より名古屋に城の防衛上多くの寺院が移され、東区では旧松山町に曹洞宗の寺が配置されたことから禅寺町、その東側は日蓮宗の寺を配置、法華寺町(ほっけてらまち)と称し飯田街道の守りとしました。東桜周辺には40ケ寺が配置されました。詳しくはこのブログの中で発信した「東寺町を歩こう!」をご覧ください。
この一帯は昭和20年の戦災で多くの寺を焼失、又戦災復興による墓地の移転、道路の拡張などで姿を変えつつも一部、江戸期の山門を残している寺もあります。最近は広い敷地の一部がビル、貸駐車場となり再び町並みが変わっていくようです。No.8で紹介した「貞祖院」の隣接地にもマンションが建築中と東区の町並みの移り変わりは止められません。ここでは清須越によって法華寺町に移転し、その後昭和30年代に建てかえられた日蓮宗の寺を三ヶ所取り上げました。山門を取り壊して駐車場とした寺、山門だけは残して境内を駐車場と鉄筋の本堂と変えた寺、歴史は常に動いているのでしょう。

CIMG0219真柳寺縮小 DSC03295本要寺駐車場縮小
錦通り北と法華寺町に面した真柳寺(日蓮宗)山門 山門が取り壊され、車が入っている。右に塀の名残を見る
CIMG0217法華寺山門工事中 DSC03298法華寺縮小
真柳寺の向えにある法華寺、駐車場造営のための工事中  駐車場となった敷地、同じ右に標識がある
DSC03300本要寺山門縮小 DSC03301本要寺山門内縮小内
寺の重みを感じる山門が残されている本要寺 山門の奥に造られた駐車場、左に鉄筋の本堂が見える

★参考 「ひがし見聞録 東区の歴史

町並みの移り変わり (No.8)

By , 2017年7月15日 9:13 PM

貞祖院南の空き地 泉三丁目
貞祖院は徳川家康の四男、松平忠吉の位牌所として建立され17世紀中頃までに清須越により現在地に移転した浄土宗の寺です。現存する本堂は明治5年に建中寺にあった霊廟の一つを譲り受けたものです。昭和20年の空襲にもこの一帯のほんの一部だけが焼け残り、今では本堂のみが当時の姿を残しています。戦後本堂南にあった墓地も都市計画により昭和32年までに東部丘陵地へ移転が完了、南の道路も拡幅されました。この本堂南には木造の家々が立ち並びましたがその後しばらく空き地、駐車場へと変わっていきました。その度毎に境内も狭くなり、昭和38年からは本堂奥の西にも道路が出来、オオカンサクラの植栽もされ、今日では市内でいち早く咲く桜の並木道として知られています。住所表示もかつては舎人町、今では泉三丁目となりました。
戦災で焼け残った一帯はこうして変わっていくばかりです。昨年からは広い駐車場もマンション工事が始まりNo.7で紹介した記事と同様、東区のこの辺りは広い土地があればマンション化となるのが常のようです。ここには地上15階のマンションが来年4月完成ということで又もやマンション化する町となるようです。

貞祖院
DSC05291本堂
    山門を入り奥にある本堂、東向きにある
DSC03289マンション建設 image1貞祖院南道路
  中央は山門、その右が本堂   南の道路から北へ、塀の終わりが貞祖院

★参考資料 ひがし見聞録  東区の歴史  都市計画地図 住宅地図

 

町並みの移り変わり (N0.7)

By , 2017年7月4日 8:51 PM

 「薬石碑」 平田町(へいでんちょう)交差点西  相生町33
平田町交差点の南北の道は国道19号線、片側4車線の広い道路です。そのすぐ西に並行して北へ行く道は現在の相生町、かつては善光寺街道の一部でした。今では旧街道の名残を残す貴重な道路です。外堀通り線を北の相生町すぐの敷地内に「薬石碑」がありました。明治の頃より名鉄小牧駅前の街道筋に薬の宣伝用として建てられていたそうです。三重県の薬業者「あかなべ」から薬を取り寄せ、小牧駅前で薬問屋を営んでいました。今でいう宣伝用の看板が街道筋にあったわけです。ここで働いていた方が名古屋に移って来た時この石碑を譲り受け昭和44年現在の敷地に移転、片隅に建てられました。
昨年この辺りの民家が空き家となっていたのでマンションが建設されることになりました。地上18階の高層ビルが4棟も建設されるようで完成は2年後です。「薬石碑」も昨年末取り払われ、しばらく西の駐車場に寝かされていました。建設が進んだ現在駐車場もマンションの敷地となり今や石碑の所在も分かりません。旧街道にあった「薬石碑」も見ることは叶わなくなりました。

旧善光寺街道
DSC03291工事現場縮小
 旧善光寺街道  マンション建設中のフェンス右に「薬石碑」があった
DSC03041あかなべはらくすり縮小 DSC02544井藤半助
東面に  かつてこのように設置されていた   駐車場に寝かされていた時。 下の方に「伊藤半助製」と読める

速報 町並みの移り変わり (No.6)

By , 2017年6月26日 10:35 PM

旧豊田利三郎邸跡
5月3日No.1で旧豊田利三郎邸跡をご紹介しました。今日偶然、旧利三郎邸前を通ったら工事中ですでに芝生が貼られた広い敷地の周囲にわずかの植栽が施されていました。今まであった東の塀は取り壊され、新しい塀が設置されるようです。現在取り壊された塀から内部をしっかり見ることが出来るチャンスのようです。白壁町に面した西の入口(現在は工事車両の出入り口)にも塀が設けられ、やはり中を見ることが出来ないと工事責任者から伺いました。マンション前にあった石碑は昭和60年マンションが出来た折記念に設置されましたが、北東隅に追いやられたようです。今しかこの光景は見られないと速報としました。ご興味のある方は東の塀が設置される前に是非お出かけ下さい。それにしても白壁町の町並みはマンションがなくなりすっきりしましたが、折角の広い芝生広場を通られた多くの方に見て頂いても良いのではないかと思います。

IMG_0368利三郎邸工事、芝生 IMG_0376芝生広場
 西から見た内部、芝生が貼られている   1000坪程ある敷地全面に芝生が貼られた
IMG_0372東側面 IMG_0374石碑
 東から見た薬医門、この東面に塀が設置される   植栽の隙間から見える石碑、ここに塀が設置される

町並みの移り変わり(No.5)

By , 2017年6月11日 10:45 AM

国家公務員合同宿舎 橦木住宅
名古屋市市政資料館を東へ100m程行くと主税町公園があります。東区のこの辺りは明治から昭和にかけて多くの絵付け工場や陶磁器輸出業者が軒を連ねていました。主税町公園一帯は明治期には森村組絵付け工場があった跡地です。森村組は創始者である森村市左衛門が明治9年に創業した現在の森村グループ(ノリタケカンパニーリミテッド、TOTO、日本ガイシ、日本特殊陶業、大蔵陶園、森村商事)で明治29年頃には現主税町公園の南の敷地(国家公務員合同宿舎)も合わせて3,660坪の絵付け工場がありました。明治37年には西区鷹馬村則武に日本陶器を設立、工場も移転しました。
大正、昭和になり跡地は少しづつ民家となり、主税町公園は昭和45年に現在のような公園となりました。南の敷地(橦木町1丁目)には国家公務員合同宿舎、橦木住宅が出来ました。1230坪の敷地は昨年2月には一般競争入札売却の掲示がありましたが、今年になり数棟あった宿舎が取り壊され更地となりました。今度はフェンスにマンションの広告が出され又、町並みが変わるようです。江戸時代は武家屋敷、明治、大正は絵付け工場、昭和には民家、平成にはマンションとこの一帯は移り変わりました。やはり歴史は動いているのでしょう。
★参考資料 ノリタケグループ資料、森村市左衛門

主税町公園
DSC03047売地橦木町2
DSC02986公務員宿舎 DSC02982主税町公園から宿舎跡地
 南の橦木町から見た国家公務員宿舎跡地 北の主税町公園から更地となった公務員宿舎を上から見る

町並みの移り変わり (No.4)

By , 2017年6月1日 9:22 AM

旧カトリック主税町教会「ルルドの洞窟」
町並み保存地区である橦木町の北は主税町です。国道41号線(空港線)とこの主税町が交わる南東角に旧カトリック主税町教会(現カトリック主税町記念聖堂)があります。No.3で紹介した「大森家住宅」とは背中合わせとなります。明治20年(1887)名古屋で初めて造られた教会で東海三県下では最も古い教会でした。何度も修復された教会は平成26年まで結婚式も行われていましたが、その機能を閉じ礼拝堂だけ保存されました。敷地内には昭和2年に設立された聖母幼稚園がありましたが、平成19年に80年の歴史を閉じました。園庭の片隅には「ルルドの洞窟」があります。フランス、ピレネー山脈の麓にあるキリスト教徒の聖地「ルルド」を模して明治42年造られました。沢山の木々に覆われた洞窟内には聖母マリア像を祀り、洞窟内には雨水が雫となって流れ落ちていた時代もありました。小高い山はまさに自然の洞窟のようでした。ところが今年になってうっそうとしたルルドの洞窟を覆っていた木々が沢山切られ、急に明るくなり切り株の目立つ小山と化してしまいました。大きくなった木が枝を伸ばし、近隣の住宅に落ち葉となり迷惑をかけていたといいます。いつまでも同じ姿を留めるのは無理なのでしょう。

DSC01858旧全景 CIMG9289マリア像
 現カトリック主税町記念聖堂  ルルドの洞窟内の生母マリア像
DSC02958新ルルド DSC02955ルルド背面
 洞窟というよりも小山となり、明るくなってしまった   洞窟背後には樹木の切り株が目立つ

 

 

町並みの移り変わり (No.3)

By , 2017年5月21日 7:55 PM

橦木町町並み
山吹小学校北側は橦木町です。南北に走る国道41号線(名古屋都市高速高架下)から東へ2軒目には大正5年(1916)頃建てられた木道平屋建ての大森家住宅がありました。平成5年には都市景観重要建築物に指定され玄関右手のコンクリート面にそれを示すプレートが嵌められていました。ところが丁度100年を経過した昨年この住宅が取り壊され、現在新築中の工事テントに覆われてしまいました。間所(路地)を挟んで東隣りはやはり大正期に建てられた伊藤家住宅があり、木造平屋建ての母屋とその後に増築された2階建てからなっています。橦木町に沿って駒寄せのある塀は桟瓦屋根(さんがわらやね)と黒い漆喰と竪羽目板からなり、やはり都市景観重要建築物となっています。又、伊藤家住宅の東には路地を挟んでやはり木造の家がありましたが2,3年前に現代風の住宅に建て替えられました。この3軒が並んで大正時代の面影を残した景観を造っていましたが、真ん中にある伊藤家住宅を残すのみとなり町並みが変わってしまいました。個人の住宅については行政も立ち入ることが出来ず又々町並みの移り変わりを感じずにはいられません。

 DSC02997大森家住宅 CIMG9691大森家住宅、取り壊し前
  左が大森家住宅があったところ   左の住宅はかつての大森家住宅、 平成22年撮影
 DSC02995橦木町現町並み  CIMG9689大森家旧町並み
  現在の橦木町町並み、樹木のある中央の家が残る   何となく古風な旧橦木町町並み、平成22年撮影


★参考 ひがし見聞録

町並みの移り変わり(No.2)

By , 2017年5月11日 2:02 PM

 陰涼寺 白壁1丁目
清水口交差点南西に間口の狭い陰涼寺(臨済宗妙心寺派)があります。尾張徳川家の墓所、定光寺(愛知県瀬戸市)の末寺として1706年この地に創建されました。定光寺の住職が名古屋城に登城する際にこの寺で休憩したといい徳川時代の寺域は630坪余有り、当時の町名表記は長塀町2丁目でした。その後三度の廃寺のたびに寺号も改め、明治19年(1886)定光寺の塔頭を移して再建し、今の寺号陰凉寺と改称しました。山門の屋根瓦には鶏像と葵の紋が見られ、鶏は「僻邪(へきじゃ)」の鳥とされ、この寺は邪気払いの「鶏薬師(とりやくし)」とも呼ばれていました。
ところが平成10年この貴重な鶏と葵の紋を持つ山門が突然取り壊されとても残念でした。その後寺の様子もすっかり変わっていきました。平成29年5月2日の中日新聞にこの陰凉寺本堂が西区に移転計画が頓挫と報じられていました。少し前に定光寺の違法山林開発が摘発され、この脇寺である陰凉寺にも飛び火しているようです。このことから近いうちには陰凉寺は姿を消すのではないかと思われます。やはり歴史は動き、止めることが出来ないのですね。

DSC03030 450縮小 IMG_0489切り抜き2
  平成18年7月撮影           鶏と葵の紋がある山門の屋根
CIMG9350  450縮小 DSC02980縮小
  平成22年5月撮影、山門の取り壊し工事   平成29年現在の陰涼寺、山門はない

★参考 名古屋市史、ひがし見聞録、東区の歴史、中日新聞

町並みの移り変わり (No.1)

By , 2017年5月3日 9:19 PM

旧豊田利三郎邸
「ゆかりの地を訪ねて」No.5で紹介した旧豊田利三郎邸内のマンションが無くなりました。今年に入りマンションに覆いがかけられ、メンテナンスのためかと思っていましたが道路に面した門と塀を残して側面からクレーン車が入り、解体にかかっていたのには驚きました。大正7年建築の邸宅は上級武士の屋敷に造られた格式ある薬医門と武者窓を備えたもので、昭和60年マンションとなり現在に至っていました。塀の脇に掲げられたボードには注文者豊田紡織株式会社、工事期は7月30日までとなっていました。1000坪余りあるこの跡地は今後どのようになるか分かりませんが、しばらくは芝生広場という話も聞きました。今後町並みがどのように変わっていくのか見守りたいものです。

DSC02961利三郎工事中 DSC02973利三郎平地
 西側から見た工事の様子、4月22日撮影  ガレキも大分片付いている、5月4日撮影
DSC02989
 豊田紡織株式会社と記された許可証
DSC02974利三郎マンション取り壊し CIMG0894利三郎マンション
塀の奥にあったマンションはない、5月3日撮影  昨年写した塀の後ろのマンション、今は無い

利三郎の旧邸宅から1軒挟んで西隣は名古屋地方裁判所の官舎でしたが平成27年マンションとなりました。町並み保存地区であるこの一帯は高層マンションは建設されないようで6階建ての落ちついた佇まいとなっています。

CIMG0893長官舎 DSC02970裁判所長官感謝
 利三郎邸西のマンションになる前の官舎  左は名古屋都市高速、下は道路は国道41号線

★参考 ひがし見聞録

Panorama Theme by Themocracy