蔭涼寺(東区白壁一丁目37)
清水口交差点南西にある蔭涼寺の歴史は古く天和年間(1830~1843)の創建、尾張二代藩主光友ゆかりの寺と云われています。明治19年(1886)定光寺の塔頭(たっちゅう)であった蔭涼寺を移して現在の寺号に改称したといいます。かつて山門の瓦に鶏と葵の紋が見られ、「鶏薬師」とも呼ばれていましたが平成21年春、突然壊され姿を消してしまいました。残念!残念!現在は門扉脇に「臨済宗妙心寺派蔭涼寺」と書かれた表札を見るだけです。
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隣の家の壁には落書きが。
鶏と葵の紋が無い山門は寂しいです。
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津島
大橋氏 とだけ刻まれていました。
アスファルトにはさまれて窮屈そうな百度石です。 |
★4月11日に第1回を書き込んでからもう5ヶ月近く、いや~随分東区を歩きました。18回となる今日で「百度石を見つけよう!」シリーズは終了です。いやもっとあるのかは解りませんがもし他に見つけることが出来ましたら是非教えてくださいね。
まとめてみますと神社にあった百度石は12基、寺にあった百度石は6基でした。お願い事はやはり神社なのでしょうか?
七尾天神社(白壁二丁目28-19)
「百度石を見つけよう!」もいよいよ終わりになってきたようです。今回は(16)で紹介した金刀比羅神社から2kmほど北へ行った明和高校近くの七尾天神社の百度石を見つけました。
(七尾天神社の由緒書)
文亀年間(1501~4)に天神池に七つの尾の霊亀(かめ)が、天神像を背に、口に梅の小枝をくわえ、現地にあったほこらに入り天神像と梅の小枝を残し、霊亀はもとの池に去ったと伝えられています。それ以来、七つの尾の霊亀を台座にしてその天神像を乗せ、ご祭神として七尾天神の名称で当地にお祀りしております。
★境内にある池の中央に七尾の霊亀が安置されています。その霊亀に七度水をかけると学業成就、所願成就すると言い伝えれています。毎月25日は「天神様の日」としてご祈祷が行われます。受験シーズンとなると大勢の学生を見ることがあります。
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鳥居をくぐり左手に百度石があります。正面の本殿との
間を行きつ、戻りつしたのでしょう。 |
七尾の亀の左手に池があります。春(2月半ばから3月初め)
には枝垂れ梅が綺麗です。
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寄附者
昭和四年春 林重次郎 と刻まれています。 |
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金刀比羅神社(泉一丁目14-5)
前回ご紹介した富士神社より北西の泉一丁目リバーパーク近くにある金刀比羅神社で円柱形の百度石を見つけました。円柱形はあまり見かけたことはなく、珍しいのではないでしょうか。建立年月は風化により読めませんでした。ここは「久屋のこんぴらさん」と親しまれている神社です。
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百度石のすぐ奥が手水舎、焼け残った建物です。 |
上から写してみました、円柱がよく解ります。 |
★名古屋城築城の折、「清須越」により久屋町に鎮座しました。祭神は大物主(オオモノヌシ)命で初めは久屋町の瑠璃光寺境内にありましたが、明治初年には村社となり、秋葉社、水天宮など八社に及ぶ末社が祀られました。戦災で本殿などを消失しましたが、ご神体と神楽殿、手水舎は無事でした。その後の戦後復興計画事業により、社域は50m程東の現在地に移転しました。
(参考 ひがし見聞録)
★リバーパークとなっている元社地の一角に金刀比羅神社の御神木が残されているようです。次回はこの話題を取上げてみたいと思っています。
冨士神社(東桜一丁目4-12)
前回シリーズで紹介した(13)物部神社南を通る桜通りを約2kmほど西へ行くと国道41号線と高架を走る名古屋高速と交差する高岳交差点があります。この南西に冨士神社はあります。ここで見つけた百度石にビックリ!円柱形の百度石はこのシリーズで初めての発見です。建立された方の好みなのでしょうか、東区ではまだあるのか捜してみます。
★この神社の創建は応永5年(1398)で、祭神は木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)冨士浅間宮、冨士権現社とも呼ばれていました。名古屋城築城のおり、浅野幸長が境内に普請小屋を設けたため、社は西区浅間町に遷され再びこの地に戻りました。
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拝殿の右の30mくらい先にあります。ここを往復した
のでしょう |
少し上から撮影しました。円柱形がお判りでしょうか? |

背面には
「 昭和十四年 安部喜八 」と刻まれていました
物部神社(筒井三丁目31ー21)
「百度石を見つけよう!」シリーズも真夏の太陽の下、歩き方もゆっくりとなりました。先回は守山区に隣接する矢田川辺りを歩きましたが、今回は東区の南東に位置する(少し東に行ったJR中央線から東は千種区です)物部神社の百度石を見つけました。
この神社の祭神は宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)で古代の豪族で軍事、刑事を司った物部氏が祖であります。現在桜通り「赤萩」交差点の北東にあるこの物部神社一帯は昔尾張物部氏の集落の一部であったようです。神武天皇がここで賊を打ち破り、石をもって国の鎮めとされたのが始まりでご神体は俗に要石(カナメイシ)、鎮撫石といいます。
現在の本殿、社殿は昭和28年建立されました。
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百度石と刻まれた部分に鳥の糞が。。。。
風化が激しく刻まれた文字が解読できませんでした。 |
大幸八幡社(矢田町4丁目7-28)
連日の暑さで「百度石を見つけよう!」も足が遠のいています。前回の長母寺(12)の矢田川に沿って東に大幸八幡社があります。社伝によれば宝暦2年(1752)10月の創建と云われ現在の社殿は昭和53年(1978)に造営されました。社域はあまり広くはありません。(参考 東見聞録)
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矢田川南の河川敷にある大幸公園の南にあります |
右側面
大正十一年十月
川邊 長之助六十一歳記念 と刻まれています |
長母寺(矢田三丁目13-71)
いよいよ東区東北部の矢田川に接するところまで歩いてきました。長母寺は矢田川河川敷の南にあり、川の北は守山区となっているのどかな光景を見ることができます。石段を登ると山門があり、その奥に本堂があります。
明和4年(1767)7月矢田川の大洪水により、裏山が抜け寺の南を流れていた川は長母寺の北を流れるようになりました。
寺の創建は治承3年(1179)山田荘の荘官であった山田次郎重忠が母の菩提を弔うために創建したと伝えられています。その後衰退しましたが弘長2年(1262)山田道円坊(どうえんぼう)が再興、臨済宗(東福寺派)に改め、無住国師(むじゅうこくし)を招じて開山、長母寺と称するようになりました。
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草に隠れてあり、苔むしていました |
右側面 四国 秩父 信州
奉納 西国 板東 越後
中国 大州 巡拝 と刻まれています |
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★長母寺の百度石は本堂のすぐ左手にありましたが、草木が生い茂り見つけるのにとまどいました。苔むした石碑の四面には文字が刻まれていましたが、読み取りが難しいです。
背面には「此水つけると いぼおちる」と刻まれている(東区の歴史より)ということですが読むことは難しかったです。
碑の前に小池があり、初夏のころはカエルの鳴き声でにぎやかである」とも書かれていましたが今は池は見当たりません。 |
白山神社 (矢田二丁目21-40)
白山神社は全国に数多くありますが、総本宮は加賀国(石川県)で山岳信仰の霊場です。
東区にある白山神社の創建は不詳ですが、祭神は菊里姫命(くくりひめのみこと)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)です。神徳として水の神、農耕の神、縁結びの神ということです。境内は昭和45年の都市計画により一部が変更されましたが、保存樹も多くアキニレの大木もあります。
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本殿とこの百度石の間を行きつ、戻りつしたのでしょう。 |
左側面 矢田町第一組
大正十一年五月 寄附 鈴木藤太郎
以上のように刻まれています。 |
六所神社(矢田南一丁目6-37)
歩道のキンシバイの観察も終わり、又百度石を見つけて歩きたいと思います。今回は東区東北部へ出向き、守山区に隣接している矢田川近くまで歩いてみます。
神社創建年は不明ですが、古説には建久年間(1190~99)創建と伝えられます。境内地1552坪で昭和42年の造営をもって現在の形に至っています。(六所神社由緒書によります)
毎年2月26日には例大祭「かっちん玉祭」が行われ、境内には露天が並び白、赤、青、黄に色づけされ竹の棒の先につけた練り飴が祭り当日のみ売り出されます。又末社の龍神社は平成9年ナゴヤドームが出来た縁で中日ドラゴンズの優勝祈願祭を執り行うこととなり、ドーム初日のオープン戦の日に特別祈願祭が行われます。
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拝殿の右側にあります
祭り当日はこの境内は参拝客で一杯になります |
左側面 昭和四十年正月
背面 寄付者 白木市太郎 と刻まれています |
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祭り当日のみ売られるカッチン玉飴 |
須佐之男神社(出来町三丁目19)
須佐之男神社は愛知県、津島神社を初めとして」名古屋地区にも多く見られます。牛頭天王(ごずてんのう)を祀り無病息災を願って建てられた須佐之男神社は東区出来町周辺に三社あります。徳川時代疫病が大層流行り町の氏神様として建てられたようですが詳しい年代は解りません。これらの神社では毎年天王祭と称して6月第1、土、日に山車の巡行が行われます。今日4日、新出来町(西之切)、出来町(中之切)、古出来町(東之切)ではそれぞれの町内をからくりを披露しながら練り歩きました。
名古屋ドーム近くの「中之切」には区内で随一高さのある百度石があります。
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地面から125cm、幅21cmあります。 |
大正四年十一月建立 御大典記念と刻まれています。
大正天皇即位の礼は大正四年十一月十日京都御所に
おいて執り行われ、これを記念して建立されたのでしょう。 |
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天王祭祭礼の幟が見られる。 |
4日行われた須佐之男神社(中之切)の山車巡行
左に見られるビルは「ザ・シーン徳川園} |
★明日5日徳川園において筒井町天王祭の山車も加わって5台の「山車揃え」が午前11時より正午まで執り行われます。