Category: 道標を見つけよう!

道標を見つけよう!(6)吉田小路の道標(東海高校正門前)

By , 2011年3月30日 8:06 PM

 この道標は今までの道標とは違い街道筋に建てられたものではありません。江戸時代、百人町は東西の直進道路は2本ありましたが南北へ通り抜ける道がなく行き止まりや曲がったりして迷路のようになった升形(ますがた)という道がありました。これは敵の進入を阻むため矢弾の通り抜けを防いだり、身を隠すのに役立つ防衛上の構造であったといわれています。今でもこの道は当時のまま残されています。
 この道標は百人町を東に住んだ吉田孟辰氏の寄付により大正6年建立され「吉田小路の碑」と呼ばれているようです。

 
  この道の奥は突き当たりで左に折れて
 います。
        西面  吉田小路
    南面  (指差し絵)百人町
    東面  吉田孟辰氏寄付ニヨリ此の道ヲ造ル
         大正六年三月 百人町総代
百人町57
[googlemap
 

道標を見つけよう!(5)主税町の道標(文化のみち二葉館)

By , 2011年3月22日 10:22 AM

 この道標も(3)長久寺(4)西蓮寺で紹介したように元の場所ではなく「文化のみち二葉館」の中庭に平成18年1月に設置されたものです。
 現在の市政資料館の西南の信号交差点東南角と思われる所に有ったと幕末に編纂された「金城温古録」に記されています。名古屋城築城(1610)以前の清須街道の道標と言われ名古屋市最古の道標です。明治の末に主税町の山高家の母屋の床下からこの道標が見つかり、長らく同家の庭石となっていました。この持ち主が三十数年に守山の親戚、井田家に転居の際一緒に移され裏庭に置かれていたそうです。この度井田家三姉妹のご厚意により名古屋市に寄贈され、元の位置からはだいぶ東寄りになりましたが、ゆかりの地に近い「二葉館」に建てられました。
 「是ヨリ右江戸道」と書かれた道標の右が江戸の方を向くように設置されたということです。

  この写真は二葉館の和舘前の廊下の窓から写したものです。
 二葉館へ見学の折には是非廊下からこの道標を見て下さい。

 

   「是ヨリ右江戸道」と刻まれている。
  画面の上でクリックすると写真が大きくなります。
   文化のみち二葉館和舘廊下に置かれた案内板
   寄贈された井田三姉妹の名前が下に書かれています。

道標を見つけよう!(4)八事道の道標(西蓮寺)

By , 2011年3月9日 8:37 PM

この道標は西蓮寺の境内にあります。元々は久屋町辺りにあったということで、明治の初めに建てられたようです。当時の道標は個人で建てられたものが多く明治末から大正にかけて持ち主が滝子に移り住んだ折この道標も移転、その後昭和の終り頃この持ち主と西蓮寺とのご縁によりこの寺に移設されたそうです。(西蓮寺お庫裏様のお話)
歴史的な道標がどんどん無くなってしまい、かろうじてお寺に残されています。(3,長久寺、4,西蓮寺)

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東区東桜2丁目12-28
西蓮寺本堂奥の庫裏の玄関前にあります。 地図の左下にあるGoogleの文字をクリックすると
拡大となります。
西 やはちそうみち (矢場地蔵道)
北 するかまちくち  (駿河町口)
東 はくさんやことみち(白山八事道)
南 こきそかさてらミち(御器所笠寺道)
かけ所あつたみち(掛所熱田道)北、西は写真の上でクリックすると大きくなり、文字を
読むことができます。

☆参考資料 「東区の歴史」

道標を見つけよう!(3) 道標地蔵(長久寺)

By , 2011年2月25日 9:18 PM

 

東区白壁3-24-47

長久寺(白壁三丁目)

この道標はお地蔵様の後背の部分に彫られたもので、長久寺にある六地蔵の一番右にあります。かつて東海道にあったものがいつの間にか信心深い人が寄進し、ここに納まったといわれています。

可愛いよどかけを着けたお地蔵様で道標とは解りません この赤いよどかけを上げると後背の右に「右 なるみ道」
左に「左    坂道」
とありますがはっきり読めないようです。

道標を見つけよう!(2)大曽根道標(善光寺街道)

By , 2011年2月20日 4:43 PM

先回 1,で見つけた佐野屋の辻の道標から北進、赤塚神明社の裏をさらに北進すると大曽根の六叉路辺りに出ます。ここは下街道と瀬戸街道の分岐点でもあり、この六叉路の北東、瀬戸線ガード付近にかつての道標がありました。
その後移転を重ね平成20年大曽根本通商店街振興組合により、地下鉄E6出入り口前に再移設されました。

地下鉄大曽根出入り口  E6 大曽根本通商店街振興組合によって設置されたプレート
写真の上でクリックして下さい。下街道の説明を読むこと
が出来ます。
西側 右 いゐたみち(飯田道)
北側 左 江戸みち  ぜんく己うじみち (善光寺道)東側 延享元甲子年二月(江戸中期1744年)
南側 念佛講中これにより江戸時代中期、1744年に建てられたかなり
古いものと解ります。

道標を見つけよう!(1)佐野屋の辻(善光寺街道)

By , 2011年2月16日 9:03 PM

道標は道路の辻,街道の分岐点に立てられた交通標識です。東区内にある旧街道に立てられた道標を探して今回は「道標を見つけよう!」シリーズとしました。道の片隅に置かれた道標を是非見つけてくださいね。

 善光寺街道は現在の中区伝馬町「札の辻」を起点として旧石町、鍋屋町、佐野屋の辻を北進して赤塚、大曽根、勝川、多治見を通り大井宿で中山道と合流する街道です。大井宿から分かれて中山道に行く上街道(うわかいどう)に対して善光寺街道は庶民の通る道として下街道とも呼ばれ、木曽御嶽山や善光寺への参詣人が多く往来したようです。
(参考資料 東区の歴史 愛知県郷土資料刊行会)

佐野屋の辻(泉3丁目、旧鍋屋町)
 国道19号線と旧鍋屋町との交差点辺りにあり、名古屋城築城の頃移り住んだ2軒の佐野屋という酒屋、味噌屋があったことから人々に「佐野屋の辻」と呼ばれていた。
道標の文字
 西面 善光寺街道(上に北を指さしている手首がある)
 北面 京大坂道 (上に西を指さしている手首がある)
 東面 いれは業  鍋屋町加藤新兵衛
 南面 明治十年
これらから鍋屋町に住んだ入れ歯業加藤新兵衛が明治十年に立てたことが解る。
一般に明治、大正の頃の道標は個人で立てたものが多いようです。

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