東区桜情報

By , 2018年4月5日 12:19 PM

サトザクラ 名古屋市市政資料館 白壁一丁目
市政資料館敷地内で最後に咲く桜はサトザクラです。サトザクラは固有名詞ではなく、野山に自生する桜を品種改良、人里に咲くことが多いため「里桜」と名が付けられたといいます。八重咲きとなり、通常ヤエザクラと呼ばれています。色は淡いピンク、濃いピンクと二種あり市政資料館には数多く植栽されています。敷地内の桜にはそれぞれ名前が記されたプレートが付けらていますが、固有名詞ではなく「サトサクラ」と書かれています。
サトザクラはソメイヨシノが散り始めたころに咲き、ソメイヨシノは花が散ってから葉が出てきますが、サトザクラは葉が出てから開花、開花から散り始め迄の期間が長くしばらく楽しめるのではないでしょうか。

IMG_1724サトザクラ縮小 IMG_1722サトザクラ縮小

東区桜便り

By , 2018年4月2日 8:08 PM

八重紅枝垂れ桜 名古屋市市政資料館  白壁一丁目
名古屋市市政資料館の敷地内にはそれぞれ咲き時が違う沢山の桜が植栽され、長く桜を楽しむことが出来ます。今年は代表的なソメイヨシノの開花は例年より1週間も早かったようです。4月の初めは入学式、入社式があちこちで行われていますがソメイヨシノはハラハラと風に舞っています。市政資料館の敷地内では今、紅枝垂れ桜が見頃を迎えています。建物の北に数本ありますが、正面玄関裏側になるため、見落とす人もあります。

IMG_1709紅枝垂れ桜 IMG_1712枝垂れアップ

東区桜便り

By , 2018年3月28日 10:07 PM

紅色桜? 東桜一丁目
先の投稿で紹介した東桜小学校の北の東西の道路にはオオカンサクラ、カンヒザクラ、モクレンと春の訪れとともに花を咲かせる街路樹が植栽され、花により開花が違い順次花を楽しむことが出来ます。ソメイヨシノの薄いピンクと対照的に濃いピンクの花を咲かせ、枝ぶり、花の大きさ、付き方、一重とすべてが同じですが色だけが違うのです。花の名前が分かりません。桜の種類はあまりに多く、又似通っているのでネットではよくわかりませんでした。どなたかお分かりでしたらお教え下さい。

IMG_1692紅桜 IMG_1694紅桜アップ

東区桜便り

By , 2018年3月27日 6:22 PM

ソメイヨシノ 東桜小学校南 東桜一丁目
今年のソメイヨシノの開花は例年より1週間から10日も早いようです。3月初めまで北海道、東北の大雪の被害が報じられていたことから今年の桜の開花は遅いのではと思っていましたが、分からないものですね。満開の桜の下で小学校の入学式の写真が似合いますが、今年ははらはらと散る桜をバックに記念写真でしょうか。
東桜一丁目にある東桜小学校の校庭の南には数多くのソメイヨシノが植えられ、路地を挟んだ南にある「栄公園」と隣り合い見事な桜のトンネルとなっています。この公園の南は錦通り、東は東海テレビ、西は愛知県芸術劇場、この錦通りが中区と東区の区堺です。

IMG_1682東桜小学校南 IMG_1684栄公園
 満開の桜のトンネル、右は東桜小学校  栄公園から北の東桜っ小学校見下ろす
IMG_1687栄公園標識 IMG_1688枝垂れ桜
 栄興と記された案内  バックに東海テレビ、枝垂れサクラも満開

東区桜便り

By , 2018年3月21日 3:15 PM

トウカイサクラ 名古屋市市政資料館
「東海桜」は中国原産の支那実桜(シナミサクラ)と小彼岸桜(コヒガンサクラ)との種間交雑種と云われていますが、なぜトウカイサクラと名が付いたのか分かりません。東海地方で多く見られる?どなたか教えて下さい。先に紹介したオオカンサクラより花も小さく、花の色も淡いようです。小さな枝に沢山の花をつけるのが特徴でオオカンサクラより開花も少し遅いです。19,20,21日と3日連続で雨が降り続き先に紹介したオオカンサクラにはもう葉が見られる枝もありますが、トウカイサクラは満開近しです。今日の写真は雨で花が下向き青空もないので、ネットからお借りしたトウカイサクラを掲載します。トウカイサクラは東区では徳川園黒門をくぐると左右の街路樹となって見事です。コヒガンサクラは長野県高遠城が有名ですね。

IMG_1663縮小 トウカイサクラtokai
  雨を含んで花は下向きになっています  ネットからお借りしたトウカイサクラ

東区桜便り

By , 2018年3月15日 8:55 PM

四季桜とオオカンサクラ  泉二、三丁目
旧町名シリーズを「ここでちょっと一休み」して桜の開花をお伝えします。泉二丁目と三丁目を分ける飯田町辺りで名古屋市内でいち早く咲く桜「オオカンサクラ」が見頃を迎えました。10日(土曜日)に早咲き桜まつりのイベントが企画されましたが、この日は寒風の中、桜もチラホラでした。ところが昨日辺りからの暖かさで一気に満開近し、僅か五日で様子が変わってしまいました。又、昨年秋から冬にかけてしっかり花を咲かせていた「四季桜」も花付きも多くなりオオカンサクラに負けずと咲き誇っています。

IMG_1644オオカンサクラ2 IMG_1653オオカンサクラ
IMG_1640オオカンサクラアップ IMG_1645四季桜
 満開の「オオカンサクラ」    これは逓信病院南東敷地内に咲く「四季桜」
昨年秋からまだ咲いています

小公園に残る旧町名を探して(No.10)

By , 2018年3月9日 9:00 PM

長久寺公園 白壁三丁目
前回の西二葉公園の東、国道41号線(高架は名古屋高速)を渡り、その東の東二葉町と南は現在は消滅した長塀町に位置する「長久寺公園」は金城学院中学の南門すぐ東です。金城中学の敷地も江戸期には長久寺の一部であったと思われます。ここは長久寺の門前であったことから長久寺門前町と呼ばれていました。明治4年(1871)には長久寺町となりましたが、今ではその名も消滅し白壁三丁目となりました。
長久寺は真言宗の寺で清須越しにより、名古屋城の鬼門鎮守の寺として現在地に移されました。表門は清須から移築したものが現在に至っています。名古屋城の東の高台にあり、「長久寺八景」と云われた当寺の八つの景勝地も今は有りません。長久寺、長久寺公園としてのみその名を留めています。

 
長久寺南参道
IMG_1624参道縮小
   この参道の突き当りが長久寺、山門は東にある
IMG_1620長久寺公園石造物 IMG_1622公園全景
 石には「長久寺公園」と刻まれている  長久寺の南参道の南にある

小公園に残る旧町名を探して (No.9)

By , 2018年2月25日 1:45 PM

西二葉公園  白壁2丁目
今回は松山公園から随分離れて国道41号線(空港線)と桜通りの交差点高岳を北へ東片端交差点、清水口交差点まで約1kmと随分歩き、県立明和高校の近くかつての西二葉町まできました。西二葉町は明治期の成立で江戸期には尾張藩御付家老成瀬隼人の中屋敷があったところで屋敷跡の庭に古い老松があったことから明治の初めに「西二葉町」と名がつけられました。現在の国道41号線のすぐ西の南北の道は、かつての木曽街道で小牧に通じる重要な道で、成瀬隼人の居城犬山にも通じる重要な道でした。この街道をはさんで西二葉町、その東を東二葉町、清水町が入り組んで分けられていました。昭和39年から始まった住居表示に関する法律により西二葉町、東二葉町はなくなり白壁2丁目となりました。この公園に「西二葉公園」としてのみ名が残りました。
★参考資料 ひがし見聞録、東区の歴史

西二葉公園
IMG_1251地図
  西二葉公園  案内地図、写真の上でクリックして下さい
IMG_1165補正 IMG_1168西二葉公園
 西二葉公園  日当たりのよい場所にある

小公園に残る旧町名を探して (No.8)

By , 2018年2月12日 2:57 PM

松山公園 東桜二丁目
No.7の安房公園から今度は西へ、桜通り小川町交差点を渡り国道41号線との中間まで歩いてきました。
慶長年間の名古屋開府による清須越が行われた江戸期にはこの一帯に沢山の寺を宗派ごとに集めました。これは南を走る駿河街道(現国道153号線)の防御地帯とする戦略的構想から生まれています。この一帯は曹洞宗の寺院が多くあり、江戸期には「禅寺町(ぜんてらまち)」と称されていました。明治期になると「松山町」と称されその地名の由来は定かではなく、松は縁起の良い木とされるので町名としたと云われています。昭和39年以降実施された「住居表示に関する法律」に基づき町の整備が行われ新たに東桜二丁目となり、現在に至っています。広大な寺の境内の一部に道が通され宅地も出来、三角形の空き地が「松山公園」となりました。公園の西には浄土宗の「へちま薬師」、東には曹洞宗の「安斎院」が昔を偲ばせてくれます。

松山公園
IMG_1159松山公園 IMG_1160石碑
 この公園の左(西)にへちま薬師があります   松山公園と刻まれていますが公園の周囲にはネット

★参考資料 ひがし見聞録、東区の歴史

 

小公園に残る旧町名を探して (No.7)

By , 2018年1月31日 3:31 PM

安房(あわ)公園 葵二丁目
No.6の城番公園は筒井町商店街の東の端にありましたが、ここから少し西に戻り南北の車道を南へ、広い桜通りを渡り路地を入った所に「安房(あわ)公園」を見つけました。服地の大塚屋がすぐ近くです。フリガナが無ければほとんどの人が「あぼうこうえん」と読んでしまうでしょう。しかしながらこの公園名が刻まれた石の横に町名の由来が書かれ納得できるようです。読んでみると「この地域には安房小路(あわこうじ)と下方小路(しもかたこうじ)の二つの小路があり、安房小路は江戸期には「安房様屋敷(あわさまやしき)」と呼ばれていた。この二つを合わせて明治13年に安房町(あわちょう)とされました。」と説明がしてあります。
近所の方に聞くとこの公園は昨年(平成29年)12月に完成した新しい公園であることが分かりました。それまでは空き地であったそうで、最近の区画整理により、道も広くなり新しい住宅、マンションが建設され若い世代が移り住む町に生まれ変わったようです。取材中も寒さにもかかわらず子供たちの楽しそうな声が響き、説明書きに何の興味もない新住民に親しまれていく公園となるのでしょう。

安房公園

IMG_1136安房公園 IMG_1137安房町由来
この安房公園の北には、マンション。その北は桜通り 由来には尾張三代藩主徳川綱誠の19男松平通温付の家中屋敷とも、道温が幽居を命じられた時の屋敷があったとも?

★参考資料 ひがしネットHP,ひがし見聞録、東区の歴史

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