町並みの移り変わり(No.5)

By , 2017年6月11日 10:45 AM

国家公務員合同宿舎 橦木住宅
名古屋市市政資料館を東へ100m程行くと主税町公園があります。東区のこの辺りは明治から昭和にかけて多くの絵付け工場や陶磁器輸出業者が軒を連ねていました。主税町公園一帯は明治期には森村組絵付け工場があった跡地です。森村組は創始者である森村市左衛門が明治9年に創業した現在の森村グループ(ノリタケカンパニーリミテッド、TOTO、日本ガイシ、日本特殊陶業、大蔵陶園、森村商事)で明治29年頃には現主税町公園の南の敷地(国家公務員合同宿舎)も合わせて3,660坪の絵付け工場がありました。明治37年には西区鷹馬村則武に日本陶器を設立、工場も移転しました。
大正、昭和になり跡地は少しづつ民家となり、主税町公園は昭和45年に現在のような公園となりました。南の敷地(橦木町1丁目)には国家公務員合同宿舎、橦木住宅が出来ました。1230坪の敷地は昨年2月には一般競争入札売却の掲示がありましたが、今年になり数棟あった宿舎が取り壊され更地となりました。今度はフェンスにマンションの広告が出され又、町並みが変わるようです。江戸時代は武家屋敷、明治、大正は絵付け工場、昭和には民家、平成にはマンションとこの一帯は移り変わりました。やはり歴史は動いているのでしょう。
★参考資料 ノリタケグループ資料、森村市左衛門

主税町公園
DSC03047売地橦木町2
DSC02986公務員宿舎 DSC02982主税町公園から宿舎跡地
 南の橦木町から見た国家公務員宿舎跡地 北の主税町公園から更地となった公務員宿舎を上から見る

町並みの移り変わり (No.4)

By , 2017年6月1日 9:22 AM

旧カトリック主税町教会「ルルドの洞窟」
町並み保存地区である橦木町の北は主税町です。国道41号線(空港線)とこの主税町が交わる南東角に旧カトリック主税町教会(現カトリック主税町記念聖堂)があります。No.3で紹介した「大森家住宅」とは背中合わせとなります。明治20年(1887)名古屋で初めて造られた教会で東海三県下では最も古い教会でした。何度も修復された教会は平成26年まで結婚式も行われていましたが、その機能を閉じ礼拝堂だけ保存されました。敷地内には昭和2年に設立された聖母幼稚園がありましたが、平成19年に80年の歴史を閉じました。園庭の片隅には「ルルドの洞窟」があります。フランス、ピレネー山脈の麓にあるキリスト教徒の聖地「ルルド」を模して明治42年造られました。沢山の木々に覆われた洞窟内には聖母マリア像を祀り、洞窟内には雨水が雫となって流れ落ちていた時代もありました。小高い山はまさに自然の洞窟のようでした。ところが今年になってうっそうとしたルルドの洞窟を覆っていた木々が沢山切られ、急に明るくなり切り株の目立つ小山と化してしまいました。大きくなった木が枝を伸ばし、近隣の住宅に落ち葉となり迷惑をかけていたといいます。いつまでも同じ姿を留めるのは無理なのでしょう。

DSC01858旧全景 CIMG9289マリア像
 現カトリック主税町記念聖堂  ルルドの洞窟内の生母マリア像
DSC02958新ルルド DSC02955ルルド背面
 洞窟というよりも小山となり、明るくなってしまった   洞窟背後には樹木の切り株が目立つ

 

 

町並みの移り変わり (No.3)

By , 2017年5月21日 7:55 PM

橦木町町並み
山吹小学校北側は橦木町です。南北に走る国道41号線(名古屋都市高速高架下)から東へ2軒目には大正5年(1916)頃建てられた木道平屋建ての大森家住宅がありました。平成5年には都市景観重要建築物に指定され玄関右手のコンクリート面にそれを示すプレートが嵌められていました。ところが丁度100年を経過した昨年この住宅が取り壊され、現在新築中の工事テントに覆われてしまいました。間所(路地)を挟んで東隣りはやはり大正期に建てられた伊藤家住宅があり、木造平屋建ての母屋とその後に増築された2階建てからなっています。橦木町に沿って駒寄せのある塀は桟瓦屋根(さんがわらやね)と黒い漆喰と竪羽目板からなり、やはり都市景観重要建築物となっています。又、伊藤家住宅の東には路地を挟んでやはり木造の家がありましたが2,3年前に現代風の住宅に建て替えられました。この3軒が並んで大正時代の面影を残した景観を造っていましたが、真ん中にある伊藤家住宅を残すのみとなり町並みが変わってしまいました。個人の住宅については行政も立ち入ることが出来ず又々町並みの移り変わりを感じずにはいられません。

 DSC02997大森家住宅 CIMG9691大森家住宅、取り壊し前
  左が大森家住宅があったところ   左の住宅はかつての大森家住宅、 平成22年撮影
 DSC02995橦木町現町並み  CIMG9689大森家旧町並み
  現在の橦木町町並み、樹木のある中央の家が残る   何となく古風な旧橦木町町並み、平成22年撮影


★参考 ひがし見聞録

町並みの移り変わり(No.2)

By , 2017年5月11日 2:02 PM

 陰涼寺 白壁1丁目
清水口交差点南西に間口の狭い陰涼寺(臨済宗妙心寺派)があります。尾張徳川家の墓所、定光寺(愛知県瀬戸市)の末寺として1706年この地に創建されました。定光寺の住職が名古屋城に登城する際にこの寺で休憩したといい徳川時代の寺域は630坪余有り、当時の町名表記は長塀町2丁目でした。その後三度の廃寺のたびに寺号も改め、明治19年(1886)定光寺の塔頭を移して再建し、今の寺号陰凉寺と改称しました。山門の屋根瓦には鶏像と葵の紋が見られ、鶏は「僻邪(へきじゃ)」の鳥とされ、この寺は邪気払いの「鶏薬師(とりやくし)」とも呼ばれていました。
ところが平成10年この貴重な鶏と葵の紋を持つ山門が突然取り壊されとても残念でした。その後寺の様子もすっかり変わっていきました。平成29年5月2日の中日新聞にこの陰凉寺本堂が西区に移転計画が頓挫と報じられていました。少し前に定光寺の違法山林開発が摘発され、この脇寺である陰凉寺にも飛び火しているようです。このことから近いうちには陰凉寺は姿を消すのではないかと思われます。やはり歴史は動き、止めることが出来ないのですね。

DSC03030 450縮小 IMG_0489切り抜き2
  平成18年7月撮影           鶏と葵の紋がある山門の屋根
CIMG9350  450縮小 DSC02980縮小
  平成22年5月撮影、山門の取り壊し工事   平成29年現在の陰涼寺、山門はない

★参考 名古屋市史、ひがし見聞録、東区の歴史、中日新聞

町並みの移り変わり (No.1)

By , 2017年5月3日 9:19 PM

旧豊田利三郎邸
「ゆかりの地を訪ねて」No.5で紹介した旧豊田利三郎邸内のマンションが無くなりました。今年に入りマンションに覆いがかけられ、メンテナンスのためかと思っていましたが道路に面した門と塀を残して側面からクレーン車が入り、解体にかかっていたのには驚きました。大正7年建築の邸宅は上級武士の屋敷に造られた格式ある薬医門と武者窓を備えたもので、昭和60年マンションとなり現在に至っていました。塀の脇に掲げられたボードには注文者豊田紡織株式会社、工事期は7月30日までとなっていました。1000坪余りあるこの跡地は今後どのようになるか分かりませんが、しばらくは芝生広場という話も聞きました。今後町並みがどのように変わっていくのか見守りたいものです。

DSC02961利三郎工事中 DSC02973利三郎平地
 西側から見た工事の様子、4月22日撮影  ガレキも大分片付いている、5月4日撮影
DSC02989
 豊田紡織株式会社と記された許可証
DSC02974利三郎マンション取り壊し CIMG0894利三郎マンション
塀の奥にあったマンションはない、5月3日撮影  昨年写した塀の後ろのマンション、今は無い

利三郎の旧邸宅から1軒挟んで西隣は名古屋地方裁判所の官舎でしたが平成27年マンションとなりました。町並み保存地区であるこの一帯は高層マンションは建設されないようで6階建ての落ちついた佇まいとなっています。

CIMG0893長官舎 DSC02970裁判所長官感謝
 利三郎邸西のマンションになる前の官舎  左は名古屋都市高速、下は道路は国道41号線

★参考 ひがし見聞録

ゆかりの地を訪ねて (No.5)

By , 2017年4月27日 8:33 PM

東区にある佐吉を支えた人々の邸宅
「ゆかりの地を訪ねて」No.4でアップしたトヨタ産業技術会館での企画展で紹介された11人のうち東区には旧豊田佐助邸、西川秋次邸、旧豊田利三郎邸の門と塀が現存しています。そんな3人の旧宅を紹介します。
★豊田佐助邸
豊田佐助は佐吉の末弟ですが佐吉の織機の評価試験・研究・資金などで支えた人です。主税町の中程に大正5年(1916)建築の木造2階建ての洋館と大正12年(1923)建築の木造2階建ての和館が併設された邸宅があります。敷地面積600坪のこの邸宅で佐助は昭和37年迄暮らし80歳で亡くなりました。その後一時期アイシン精機の福利厚生施設に使われたことがありましたが、老朽化が激しく平成7年に水周り部分の一部が解体されました。現在はアイシン精機から名古屋市が維持管理を委託され公開されています。(月曜日休館)佐助邸について詳しい事はこちらをご覧ください。

CIMG9326ブログ縮小4 CIMG8910ブログ縮小3
 豊田佐助邸門  左、和館と右洋館

★西川秋次邸

西川秋次066  西川秋次は一貫して佐吉の事業に協力、紡績事業の技術面と上海の紡織事業で経営を支えた人で佐吉の右腕ともいえる人です。佐助邸から程近くに西川秋次邸があります。大正末期に建てられた邸宅は戦災で3階と2階部分を焼失し、改築されましたが、昭和56年取り壊され建て替えられました。門と塀は大正時代創建当時のままの姿で残されています。個人のお宅で了解を得ていませんので今回の紹介はここ迄です。

★旧豊田利三郎邸の門と塀
豊田利三郎は佐吉の長女愛子と結婚し、豊田家に入籍。紡績業主体の事業から繊維機械・自動車等、機械産業事業への拡大・多角化を図り経営者としてグループ経営に携わりました。豊田自動織機初代社長。トヨタ自動車工業の初代社長を務めました。
豊田利三郎邸は白壁町に大正7年(1918)に建設されました。邸宅は昭和60年にマンションとなり、江戸時代の様式を模して造られた薬医門と武者窓を備えた塀が当時のまま残されています。平成3年には都市景観重要建築物に指定されています。マンションと記しましたが様子が一変しました。この記事について次回に続きます。

CIMG0896豊田利三郎邸、門 武者窓2
 薬医門の正門  武者窓のある塀

参考資料 ひがし見聞録・小説西川秋次の生涯・トヨタ産業技術記念館パンフレット

ゆかりの地を訪ねて (No.4)

By , 2017年4月17日 7:05 PM

トヨタ産業技術記念館 西区則武新町4丁目
トヨタ産業技術記念館は現在のトヨタグループの創始者である豊田佐吉の自動織機や喜一郎の携わった自動車部品の制作開発を行った場所であります。このトヨタグループ発祥の地である旧豊田紡織株式会社本社工場跡に1994年に設立されました。今年は豊田佐吉生誕150周年ということで「研究と創造の生涯。佐吉の志と、それを支えた人々」と題して特別展が2月11日から5月7日迄開催されています。特別展示室では佐吉が多大な業績を残し得た背景には、様々な人の支えがあり、発明・研究、事業経営、資金面などで手を差し伸べた11人が紹介されています。その中で佐吉の末弟豊田佐助、佐吉の上海紡織事業の経営を支えた西川秋次が大正時代に住んだ邸宅が東区主税町にあり今でも見ることが出来ます。豊田利三郎宅は白壁町に門と塀が残されています。佐吉、喜一郎も東区に邸宅を構え、豊田一族が大正時代住んだ町でもあります。

DSC0292811人 DSC02948展示全景
  佐吉の志とそれを支えた11人の写真が左に  展示室全景、時代ごとに発明された織機の展示もある
DSC02922産業技術記念館、平吉、佐助 DSC02945西川
  次弟豊田平吉と末弟豊田佐助   上海紡績事業の経営を支えた西川秋次

ゆかりの地を訪ねて (No.3)

By , 2017年4月5日 2:23 PM

湖西市立鷲津小学校
鷲津小学校は豊田佐吉の出身校である川尻小学校の後身です。沿革によると明治6年(1873)鷲津本興寺境内に小学鷲津学校、吉美妙立寺境内に小学川尻学校が創設されました。佐吉は明治8年(1875)下等小学校(小学川尻学校)に入学、4年後の明治12年卒業しました。当時の学校制度では学校に行くことが出来た佐吉は幸せな方でした。卒業後の佐吉は父の大工仕事を継ぐ気もなく、近くの観音堂に毎夜志を同じくする仲間5人の若者と自習的に夜学会を開いていましたが、勉強だけではすまなく「西国立志編」を何度も読むうち発明を志すようになったといいます。佐吉の原点はここにあったのではないでしょうか。記念館から徒歩15分程の小学校、中学校を訪ねてみました。
★参考資料 豊田佐吉(人物叢書)、 小説 豊田佐吉

 
鷲津小学校
DSC02897鷲津小学校校門
  湖西市立鷲津小学校校門
DSC02899校門通路 DSC02898小学校校訓
校門通路に記されたプレート、左のプレートには「私たちは世界の織機王豊田佐吉と同じ学校に学ぶことを誇りとしています」と記されていかす。

湖西市立鷲津中学校
佐吉は小学校を卒業しただけなのでこの中学校に通いませんでしたが、小学校に隣接してあり、校門を入るとすぐに佐吉の胸像と佐吉の語録の書かれた石碑があり、ここにも鷲津の誇りのようなものを感じました。

DSC02884鷲津中学校表札 DSC02886佐吉胸像
湖西市立鷲津中学校校門の表札  佐吉胸像、「障子を開けてみよ 外は広いぞ」

ゆかりの地を訪ねて (No.2)

By , 2017年4月1日 1:46 PM

豊田佐吉記念館展示室
豊田佐吉記念館には正門を入ってすぐ右に展示室を設けています。ここには佐吉の発明した織機や特許証、ゆかりの品を展示しています。展示されている3機の織機を紹介します。
★参考資料 豊田佐吉記念館カタログ

豊田佐吉記念館065 障子を開けてみよ
外は広いぞ
これは佐吉の語録として有名なものです。「障子の向こうには、今迄見えなかった世界が広がる。障子を開けば新しい世界が広がり、可能性が広がる。」というものです。
(佐吉記念館母屋から庭を写した絵葉書使用)
DSC02846明治23年  豊田木製人力織機
明治23年(1890)

これまで両手で織っていたものを片手で織れるように改良したもの。片手でおさを前後させるだけで、シャトルが左右に走るように改良した。
基本的に人間が手で織る機械であった。
DSC02847明治29年  豊田式木鉄混製動力織機
明治29年(1896)
日本で最初の動力織機
横糸が切れたら杼(ひ)が止まり自動で停止する装置で人力から動力を完成した。
布の巻き取り装置も備えた。
DSC02850 大正13年G  無停止杼換式豊田自動織機
(G型自動織機)
大正13年(1914)
高速運転中にスピードを落とすことなく、杼(ひ)を交換して横糸を自動的に補給する。
佐吉が究極の目標に定め、当時世界で最高性能である完全な自動織機。

ゆかりの地を訪ねて (No.1)

By , 2017年3月30日 8:34 PM


豊田佐吉記念館

今年は自動織機発明の豊田佐吉(1867~1930)生誕150年となります。佐吉は静岡県湖西市山口に生まれ地元の鷲津小学校を卒業後、父の後を継ぎ大工となります。明治23年23歳の時、東京で開催された内国勧業博覧会で外国製織機を見て感銘を受けると独力で「豊田式木製人力織機」を発明しました。明治35年にはトヨタグループの原点といえる「豊田商会」を東区武平町(現泉1丁目)に設立、住まいも東区白壁町1丁目(清水口交差点南西)に構えました。東区は自動車王、豊田喜一郎(佐吉長男)、豊田佐助(佐吉末弟)、豊田利三郎(佐吉娘婿)など豊田一族が住んだゆかりの地でもあります。今回は豊田家発祥の地、静岡県湖西市山口にある「豊田佐吉記念館」を訪ねてみました。 トヨタグループが運営する博物館は愛知県内に数多くありますが、唯一愛知県外にあるのが「豊田佐吉記念館」です。ここは豊田家の所有で豊田家三代目である豊田章一郎氏が館長ということです。母屋は残念ながら非公開となっていますが、豊田の社員達も一度は研修に訪れるそうです。高低差のある敷地は浜名湖を見下ろす展望台まで標高40m、冬の晴れた日には冨士山を見ることも出来るそうです
★参考資料 豊田佐吉伝、豊田佐吉記念館カタログ、トヨタ産業技術記念館「赤れんが便り」

鷲津駅
行き方

JR東海道本線
「鷲津駅」より2km 徒歩25分、タクシー5分

DSC02874佐吉記念館全景 DSC02872母屋
  豊田佐吉記念館正面   母屋、佐吉が両親のため明治40年に建設
DSC02845佐吉銅像 DSC02844納屋
  玄関左手の庭にある佐吉銅像   佐吉が父に隠れて研究した納屋を移築
DSC02879生家復元 DSC02877生家内部
  生家、平成2年現在地に復元  生家内部、茅葺屋根、江戸時代後期の農家の形を残す
DSC02880発祥の地 DSC02882展望台
  豊田家発祥の地と刻まれた石碑、元はここに生家   展望台から見下ろす浜名湖

Panorama Theme by Themocracy